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父の形見の帽子をかぶり、故星野仙一監督に肩を抱かれる小島汀さん=2002年4月、甲子園球場
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父の形見の帽子をかぶり、故星野仙一監督に肩を抱かれる小島汀さん=2002年4月、甲子園球場

■「負けるな」星野監督の言葉糧に

 1995年1月17日午前5時46分。

 当時3歳だった小島(おじま)汀(みぎわ)(29)、4歳上の兄、両親が暮らしていた芦屋市津知町のアパートは全壊し、並んで寝ていた4人はその下敷きになった。

 幼かった汀に、揺れた瞬間の記憶はない。気がついた時には、母に抱きしめられていた。真っ暗な中で、母が「お父さん!」と叫ぶ。兄も叫んでいた。

 汀が外に出たのは、約3時間後。一番覚えているのは、血まみれになった母の顔だ。夕方に運び出された父謙(けん)さん(36)は、家具が頭に直撃していたらしく、帰らぬ人になった。

 このアパートでは6人が犠牲になり、隣に住んでいた兄の親友で小学1年の男の子=当時(7)=と、幼稚園児の女の子=同(5)=も亡くなった。

 どうして、お母さんはけがをしているの?

 どうして、こんなにぐちゃぐちゃな街にいるの?

 全然、分からなかった。

     ◇

 翌18日、汀は遺体安置所で父と最後の対面をした。

 その日のことは全く覚えていないが、汀と兄は夜に高熱を出したらしい。23日の火葬は、「衝撃が大きすぎるから」と、連れていってもらえなかった。

 そして、腰の骨を折る大けがをした母は、震災後すぐに入院した。汀は兄とともに、祖父が牧師をしていた近くの芦屋川教会で暮らすことになった。

 芦屋川教会は避難所になり、たくさんの人が集まっていた。国内外から駆けつけたボランティアが、汀の遊び相手になってくれた。

     ◇

 会えなくなった父との思い出をたどると、プールや銭湯に行ったり、バーベキューやたこ揚げをしたり。甘党で、ケーキやアイスクリームが大好きだった。

 何より、熱心な阪神タイガースファンだった。震災後、がれきの中から出てきたのは、縦じまの帽子。つばの裏に、フェルトペンで「猛虎命」と書いてあった。

 2002年、10歳になった汀は故星野仙一監督(当時)と対面がかなう。

 甲子園球場に遺児17人が招待され、汀は「お父さんの帽子とバットで応援します」とあいさつした。

 星野監督は応えた。

 「僕も生まれる前に父を亡くし、母と姉と頑張ってきた。とにかく負けるな。みんなも夢を持って、勇気を出して、前に進もう」

 その言葉は、汀の生きる糧になった。(中島摩子)

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(1)プロローグ

【動画】汀の物語 二つの被災地を生きる理由

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