■「来てくれるだけで」心が楽に
「何もできない…」
2012年3月、初めて訪れた東日本大震災の被災地で、小島汀(おじまみぎわ)(29)=芦屋市=は涙を流していた。
その肩を抱いたのは、岩手県釜石市立釜石東中学校の副校長(当時)、村上洋子さん(63)だった。
◇
震災で、同校がある鵜住居(うのすまい)地区は大津波に襲われ、まちは壊滅状態になった。海から約500メートルの場所にあった校舎は、3階まで水に漬かってしまう。
そんな中、生徒は隣接する鵜住居小学校の児童と共に率先して高台に避難し、市内小中学生のほぼ全員の命が助かったという「釜石の出来事」が全国的に知られた。
ただ、生徒の約3分の2が住む所を失った。保護者は13人が亡くなった。きょうだいや祖父母が犠牲になった生徒も少なくない。
汀と村上さんが出会った12年3月、まちのあちこちにがれきが残り、震災の爪痕がむき出しだった。
不登校になった子どもや、登校しても授業に出られない子どもがいた。大人も打ちのめされていた。
「これから先が考えられない。不安だらけで、食べて生きているだけだった。悲しみが大きすぎて、食べられない人もいっぱいいた」と村上さん。
自身も、同県陸前高田市にあった自宅が津波に流された。沿岸部の「奇跡の一本松」の近くで、地域では住民の3人に1人が亡くなったという。
また地震が来たら逃げないと-。そう思うと眠れない。震災から1年、ずっと運動着で横になっていた。
◇
そんな震災後を生きていた村上さんは、阪神・淡路大震災で父を失った汀が、再び起きた大災害の被災地に心を寄せる大人になっていることに、励まされる思いがしていた。
汀に、こう語り掛けた。
「来てくれたことがうれしいよ。元気な姿を見せに来てくれるだけで、子どもたちは元気をもらうよ。18年、19年たったら、自分たちもこんなふうになれるって、希望になるんだよ」
今、東北の子どもは、現実に打ちひしがれている。前を向けない。でも、その子どもたちにとって、あなたは「笑顔の素敵な大人になりたい。なれる」と思える存在なのだ、と伝えたかった。
来てくれるだけでいい-。村上さんの言葉に、汀はすうっと楽になった気がした。(中島摩子)
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