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 阪神・淡路大震災で父を亡くした小島汀さん(29)=芦屋市=が中学1年だった2005年1月、「神戸レインボーハウス」=神戸市東灘区本庄町1=で開かれた追悼式「今は亡き愛する人を偲び話しあう会」で読んだ作文は次の通り。

     ◇

 小島 汀

 震災から10年がたちました。

 私は、たんすの下敷きになりましたが、お母さんに抱えられ、助けられました。

 しかし、隣にいたお母さんとお兄ちゃんが、何度も「お父さん!」と呼んでも、声が返ってきませんでした。

 私は、地震が起きた3時間後に外に出る事ができました。当時3歳の私は覚えていませんが、どれだけ近所の人が来て、助けに来てくれてもその場から離れず、お父さんの妹であるいっこ姉ちゃんが来たときにやっと、動き出したと、お母さんに聞きました。

 私には、震災の日に何が起こったか分かりませんでした。お母さんの頭が出血している事にとてもおびえていました。

 周りがバタバタしていて、避難所になっていた祖父の教会には、とにかくたくさんの人が行き来していた事を覚えています。

 でも、正直、3歳の私には避難所に届くお菓子をもらって喜んでいた事もありました。

 私は震災の恐怖で、暗い所におびえて、映画にもなかなか行けませんでした。

 大きくなるにつれ、お父さんがいたらなぁ、と思うことが増えました。

 私のお父さんは、いつも元気で、お正月にはたこ揚げに行ったり、とにかく私たちのことをかわいがってくれました。

 ケーキやアイスが好きで、仕事から帰ってくると、一番にうれしそうに食べていたのを覚えています。

 そして、お父さんはとても熱狂的な阪神ファンでした。残っている縦じまの帽子のつばには“猛虎命”と、しっかりと書き込まれています。私は今、お父さんから受け継ぎ、毎日TVに向かって応援しています。

 もし、今お父さんに会えるなら、一番に甲子園に行く約束をして、一緒に六甲おろしを熱唱したいです。

 昨年から、中学生になり、陸上部で毎日、走っています。しんどい時もあるけど、記録に向かって頑張っています。長距離では、駅伝で活躍したり、学校の45キロロードレースでは学年1位になりました。

 これからも、県や全国大会を目指して、お父さんにほめられる走りをしたいです。

 毎日、お母さんは夜まで私たちのために働いてくれています。帰ってくるのが遅くなる時も、習い事に行ったり、レインボーハウスに行って、楽しく過ごしています。

 今までの10年間は、本当にたくさんの方々に支えられ、生きてこられたと思います。

 あしなが育英会は、震災後から、お世話になり、御影に神戸事務所があったころから、毎日のようにお母さんとバスで行っていました。

 今でも、レインボーハウスで友だちや大学生の人たちと遊んでいます。

 私にとって、安心していられるのびのびとした場所です。

 つどいでは、同じ経験をした友だちと出会い、あしなが育英会の友だちにしかできない話をしたり、いろんな事を分かち合える仲間ができました。

 今まで出会った、たくさんのみなさんやあしなが育英会の友だちは、お父さんからの大切な宝物です。

 今年から、2年生になるけれど、何事にも全力投球して、毎日精いっぱいに生きていきたいです。

 お父さん、天国からずっと見守っていてください。

【バックナンバー】

(3)レインボーハウス

(2)3歳で遺児

(1)プロローグ

【動画】汀の物語 二つの被災地を生きる理由

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