米マイクロソフト(MS)副社長を一時務め、学生時代に起業したアスキーを上場させるなど希有な経歴を持つ西和彦さん(62)。信念を曲げずにビル・ゲイツ氏とぶつかり、MSを退社。アスキーの社長、大学の教員などを経て、東大で現在取り組んでいるIoT研究を「線香花火の最後」と語る。「15年刻みで変わった。変わらざるを得なかった」とするこれまでのキャリアについて、振り返ってもらった。
-アスキーを創業した。雑誌社を立ち上げた原点は西宮での高校時代にあるという。
実は甲陽学院高(西宮市)時代に出版を始めた。英語、数学、国語、歴史、物理…。諸先生が授業中にする雑談がすごく楽しくて、各クラスにいる特派員が書き留め、授業後に集まって一つの完全原稿に仕上げた。文章をまとめて出版したら、校内でものすごく売れた。「ひょうたん文庫」と名付けてね。図書委員を手伝いながら3年間、ガリ版で新書判に印刷し、表紙は僕がデザインした。これが原点です。
早稲田大理工学部では出入りしたロボット研究室で「君は何ができるんだ」と教授に聞かれ、「コンピューターが得意です」と答えたところ、「ロボットを制御するコンピューターをやりなさい」と言われた。コンピューターをやっている別の研究室でも手伝いをしていて、本格的に研究を始めた。当時あった雑誌「コンピュートピア」にアルバイト原稿を書いていたら、知り合った仲間と「雑誌を作ろう」という話になり、アスキーを始めた。
-エンジニア、経営者、教育者…。あらためて経歴を見ると、多彩な顔を持つ。
やってきたことを振り返ると、15年刻みで変わっている。最初の15年は普通の子どもだったが、高校に入ってから自分の好きなことが何か分かってきた。15~30歳はエンジニア。主にMSにいた。30~45歳はアスキー社長で45~60歳は大学の教員。60歳から仕切り直し、大学の研究者に戻っている。15年も一つのことをすると飽きる。15年で変わらざるを得なかった。