黒煙が立ち込める様子(草葉美桜さん提供)

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避難所の様子

―配属された避難所でどのように行動できましたか
「僕らが身につけていた『長田区災害対策本部』の腕章を見て声をかけてくる人もいました。でもすぐに対応してあげることができなくてねぇ。赤ちゃんを抱いた女性に『この子に薬が必要なんです。パルモアなんです』と声をかけられたけどすぐに理解できなくて、ほかの人に相談している間に見失ってしまったことが今でも心残りです。中央区にある病院名だったと分かったのはあとからやったなぁ」

―避難所運営でまず取り組んだことは何ですか
「1967年に神戸を襲った水害を経験したことがあるベテラン職員の指示がありました。職員室を災害対策本部にして、乳幼児のために教室を確保しました。廊下にいる人には教室に入るように勧めて、職員室近くの会議室に遺体安置所を設けました。また、避難者の管理を行き届いたものにするために、校庭への車の乗り入れと校内での火の取り扱いを禁止しました。そのベテラン職員が『災害の時はこうするもんや』と言ったのを覚えています」

―避難所の運営でたいへんだったことはなんですか
「心身ともに疲れたのは担当していた物資の管理。僕が避難所におったのは最初の1カ月足らず。ルールが全くないときたったんで、全国から救援物資が次々と届けられる。蓮池小は大型車両も通れる主要道路沿いにあるので被災地の西の玄関みたいなもの。例えば、飲料水のペットボトルが1万本。突然、区の対策本部を通さずに到着します。昼夜を問わず、寝る間がなかったこともありました」

―避難所生活で体調を崩す人はいませんでしたか
「消毒、手洗い、うがいを呼び掛けていました。風邪などが流行ることはなかったと思います。人の目があり気を張っていたのですが、僕自身がインフルエンザになってしまいました」

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避難所での人間模様

―疲労や不安で避難している人たちはどうでしたか
「1月19日に村山富市首相(当時)が視察に訪れたことがあった。玄関ロビーに座っている人たちに首相が「がんばってください」と声をかけてたら、『がんばってや!は、誰でも言えるわ』と応じる人がおってね。疲れや不安からでしょうか。率直な気持ちがつい声になったんかなぁ」

―避難が長引くことで避難している人はどうでしたか
「避難している人たちの反応に複雑な気持ちになることがありました。用意した食事が余ることがあった。炊き出しに行列が出来ていたのは数日前まで。食事は野菜が少なく揚げ物が多かったので、『あっさりした』ものを求める声が出始めました。残される状況に物資を送ってもらっている人たちへ申し訳なく思いました」 「また、古着が届けられることががありました。しかし、企業から新しい服や毛布や布団が提供されると、みんな『今まで使っていた古着はもういらん』というふうになって捨てることもあって、保管されていた古着には手を付けなくなりました」

―運営する人たちだけで担うのはたいへんでは
「ボランティアも来てくれたのですが、避難している人たちが少しずつ作業を手伝ってくれるようになってきたことがうれしかった。また、避難所で暮らす人たちから代表者を決めるなどの進展がありました。校舎を一定の区域に分けてリーダーを選出してもらい、会議で避難所生活のルールを決めることになったんです。不便な暮らしの中で住民と行政が避難所改善に向けて正面から向き合い、本音で話し合えるようになったことがよかったと思っています」

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避難所になった蓮池小学校の様子



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避難所を伝える資料を見る



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小寺さんの思い

「若手の職員にはね、経験を積んで次に生かしてほしいから『まずは現場を見てこい』というてるんです。東日本大震災発生の直後、被災地支援に職員が派遣されることがありましたが、業務の都合で僕は行けませんでした。その後、ボランティアでようやく被災地に入りました。それ以前にも新潟中越地震や兵庫県西・北部豪雨などの被災地でも支援に携わってきました」

―どうしてそこまでするのですか 「『受けた恩は返したい』という気持ちがあるんです。避難した人たちの対応に追われていたあのとき、支援は全国から寄せられました。震災資料室の開設に加わったのも先輩職員からの誘いだけではありません。『伝えなあかん』という思いも持っていました」

―「伝えたい」根源はなんでしょう 「姫路から18歳で出てきた職員駆け出しのころ、家々を訪ねても気軽に玄関へあげてくれるような人情味豊かな下町の気質に惹かれました。悲惨な災害の事実を覚えておいてほしいということもありますが、長田の人や町が好きだからやってこられた。大切な長田や神戸を多くの人たちに支えてもらったという気持ちが原動力です」

―震災から歳月が流れていますが 「資料室を設けてからいろんな人が見学に来ます。研究材料にしようとする大学生もいるので、できる限りの体験を伝えるようにしています。そのかわりいつも『返してほしい』と心の中で思うのです。報告書でも論文でもいいので、どう感じたのか教えてほしい。僕らはどうしても『公務員目線』でモノを考えがちになっているので、『若者の目線』を大切にしたいからです。『新鮮な目線』が次の世代へつないでいく鍵になると信じています」

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