宮本さんの話
―震災直後は
「2階で寝ていました。屋根がつぶれて空が見えました。自宅を含む四軒長屋は全壊判定を受けましたが、よく見ると壊れたのは隣家部分で自宅は厳密には全壊ではない。一度申請した解体を取り下げました」
―「ゼンカイ」ハウスは順調だったのですか
「難工事でした。建物の道路側は震災前から6センチほど低く、地震によって建物全体がねじれるような格好なので図面が書けない。自分でも内心は『あほなことしたな』と。でも『意地でも住んでやる』と完成させました」
―そこまでするのは
「僕はこの家で生まれて中学生まで育ちました。この家はいわば記憶の器。『いい家やな』と思う。子供のころは全然考えもしなかったのにね」
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建築と震災について
―震災から20年たつことについて
「震災当時はありませんでしたが、最近はリノベーション住宅という言葉を聞くことが多くなりました。中古の物件や既存の建物を自分が住みやすいように、大幅に改修することをいいます。構造躯体を活用しながら、自分の理想とする住まいを追求するという価値観が、この20年で生まれたと思います」
―宮本さんご自身は
「建築家の仕事は普通、土地があってその上に何かを作ることです。でも震災では基盤となる地面そのものが揺れた。震災後、普段の仕事でも敷地を越えて環境全体のことを考えるようになりました。土地と建物は別々ではなく、その土地から建物が生えているようなイメージです。極力その土地が持つものを建物に生かしたいと考えています」
―建物と土地は一体ということですか
「震災で建物は壊れてしまっても、地形は残ります。皆に親しまれている六甲山も地震によってできた山です。震災は私たちがそこに住んでいたから災害になったのであって、自然そのものに災害をもたらす意思はありません。自然を否定してしまうと、地形もなくなってしまいます」
「東日本大震災の被災地では、高台移転の工事に伴って、山が切り崩されている。地形や風景を変えてしまうことは疑問です。例えば、海とともに暮らしてきた人を海から切り離していいのか、速やかに裏山に逃れる避難道を整備するやり方もあるのではと思うのです」
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建築と復興について
―東日本大震災の被災地ではどんなことを
「発生翌月、釜石市に行きました。建設が始まっていた仮設住宅の建てる向きを変えられませんかと提案しました」
―なぜ向きが大事なのですか
「玄関が同じ方向を向いた住宅ではコミュニティーが生まれにくいものです。玄関を向かい合わせにすれば、顔を合わせる機会も増え、そこから近所づきあいも生まれるだろうと考えたのです。いくつかの仮設住宅でこれが実現しました」
「復興公営住宅の設計でも、『どんな家に住みたいですか』『どんな町にしたいですか』とワークショップで住民の皆さんに問いかけ、得られたものを設計につなげています。ある復興住宅では共有の庭をつくる計画です。そこから住民の交流が生まれることを期待したものです」
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後藤さんの思い
最初は「ゼンカイ」ハウスが建つまでの宮本さん個人の経験談を予想していました。
でもお話は阪神・淡路から東日本の被災地へと広がっていきました。
「ゼンカイ」ハウス以上に、共通の庭を取り囲む復興住宅や玄関が向かい合わせになっている仮設住宅のお話が興味深かったです。
被災した人に、「さあ住んでください」と単に住まいを用意するのではなく、「どんな風に住みたいですか」と提案する。住む人の暮らしやコミュニケーションまで建築家は考えているんですね。
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