菅原さんの話
―地震の瞬間は覚えていますか
「横に滑るような感覚の後、ジェットコースターが降下するときみたいに体が浮いた。真っ暗で1階に降りようとしたら階段がない。そんで窓開けたら目の前が道。外に出たら近所の古い家はつぶれていた。おかんはこたつで寝ていたのですが、直接物が落ちてこなかったので助かったらしいです」
―家族は
「弟と寝ていて2人ともけがはなかったです。おかんは埋まったままで、手を握って何か話しました。昼ごろまでの記憶が断片的ですが、なんとなく『おとんはあかんやろなあ』と分かっていました。芦屋に祖父がいるので歩いていく途中、建設業やっている親戚に偶然会ったので、二人を出してくれるよう頼みました。助け出されたおかんはおとんの遺体といっしょに、2日目の晩まで小学校の安置所におったらしいです」
―それから
「おとんをいつまでもこのままにしておけないんで、姫路の火葬場に運ぶことになったんですが、生前おとんが話していたお坊さんの友達を思い出したので、急きょそこに立ち寄って、お経を上げてもらいました。姫路からの帰り、高校に寄って『ぼくは生きてますが、父は亡くなりました』と報告しました。おとんの職場にも行って「だめでした」と伝えました。あとは何かな…棺桶が重たかったこと」
―高校生なのにそこまで…
「おかんはうろたえるばかりやから、『できることは自分がやらなあかん』と。火事場の馬鹿力かもしれへんけど、生前のおとんからは『しっかりせえ』と説教されてました。『うっさいな』と聞き流してたから細かい内容は覚えていません。おとんが死んで最初は『こらえらいことや』と思ったけど、焼き場の釜に入れたとき、腹がすわったというか、覚悟を決めました。しっかりせざるを得なかったというか。今思うと、15、16の子どもにしてはようやったと思います」
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亡き父について
―お父さんはどんな人でしたか
「長男ということもあって口やかましかった。箸の持ち方や食べ方が気に食わんと、ごつんとやられた。いつかしばいたんねんと思ってました」
―菅原さんが高校生の時に書いた作文を読みました。作文には「悲しい」と書かなかったのは。
「作文は覚えてないけど、あのころは『どうせ言っても気持ちは分からんやろ』と思ってた。励まされると、『同じ目に遭ってないのに何が分かんねん!』とか、すごく背伸びしてた。すぐ生活に困るわけではなかったけど、とにかく生きていかなあかんから、湿っぽいことを言ったり、考えたりすることはなかった。退学して働こうと考えた時期もありました。でも奨学金もらっているからとにかく卒業せなあかん。まあ、勉強は適当でした」
―震災遺児への支援については
「神戸レインボーハウスは近所ですが、行ったことないんです。理由は…うーん、なんやろ、行く必要がなかったから。弟はお世話になりました」
―作文を書いた当時と今で、変化はありますか
「おんなじ。置かれた状況で最善を尽くす。人をうらやんでも立場が置き換われるわけでじゃない。その日の仕事も遊びも精いっぱいやる。それでずーっと生きてきた。一日一日積み重ねて、ああこんなに時間がたったのかという感じです。だから20年が節目という感覚はないです。節目があるなら、おとんが死んだ年齢(41歳)になった時かな」
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子を持つ親として
―お父さんを思い出すことはありますか
「大人になって、子どもが生まれて、『おったらいろいろ相談できたのになあ』とは思います。15、16歳なんて完全に子ども扱いだけど、社会に出て働き始めたら父親と打ち解けて、気持ちもわかるようになったんちゃうかな。聞きたかったこともあったと思う。今おったら酒飲んで、遊びに行ってる。多分独身やろな。結婚して子どもがいるのは、震災があったからかな」
―菅原さん自身はどんなお父さんですか
「子どもから見たらかなり身勝手。突然『旅行行くぞ』とか言うし。昨年夏は、大船渡、陸前高田、石巻に行きました。キャンプ場が高台にあって、下に仮設住宅が並んでました。でも、仮設住宅の人としゃべったわけでもボランティアしたとかではないです。子どもにはあまり説明せず『見とけよ』って言ったかな」
―子どもたちにご自身の被災経験を話したりしますか
「震災のことは『こんなことがあったんや』と思ってくれるだけでいい。それよりも、『なんかあった時に生き残らないとだめだぞ』という話は時々します。地震の時もほんのちょっとのことで生死が分かれた。今の学校の先生はそんなぎりぎりの体験していない。それなら親が伝えないと。地震の時に、家族が落ち合う場所決めてますか?うちは決めてます」
―子育ても同じですか
「うちは『勉強せえ』とは言いませんが、『だれもあてにならないなら、自分で考えて行動せなあかんぞ』と話してます。もし遊園地で迷子になったら、自分で案内所に行くようになってほしい。小学4年の長男はそれができました」
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辻本さんの思い
―菅原さんの話はどうでしたか
「作文を読んで『強い人だな』と思っていましたが、話を聞いてそれ以上でした。私なら母にすがってしまう」
―印象深かったのは
「お父さんがいない生活を尋ねたとき、『苦労は感じなかった』とさらりと答えてくれたこと。『人は人、自分は自分』という言葉も印象に残りました。その言葉通りに生きているのがすごい」
―地震については
「今までは倒れた建物や火事の写真や映像しか思い浮かばなかったけど、菅原さんの話は迫力がありました。埋もれたお母さんの手を握って励ました場面は聞いているだけでつらくなった」
―菅原さんのお父さん、想像できますか
「べったりじゃなくて、少し離れた場所にいて、困ったことがあれば菅原さんを助けるような、そんなお父さん。震災前に口やかましく言っていたことを、菅原さんは受け入れていたから、身に付いていたんだと思いました」
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