明石

  • 印刷

■次女亡くした三木清さん

 後ろからじりじりと前に押される。(中略)何度目かの圧力が駅側からあり、清の体が傾いていく。優衣菜と向き合ったままゆっくり倒れ、45度くらいまで傾いた時、一気に仰向けに倒れた。(書籍から抜粋)

 少しうつむき加減に目を伏せ、正座のような姿でたたずむ童女像。事故翌年の2002年7月19日、遺族が歩道橋南西に設置した慰霊碑「想(おもい)の像」だ。多くの犠牲者がいた場所にある。

 三木清さん(53)=兵庫県姫路市=と、亡くなった次女優衣菜さん=当時(8)=は少し北側で巻き込まれた。事故後、三木さんは「優衣菜を取り残してきたような気がして」何度となく通った。今も発生日と年末年始に訪れ、想の像を掃除し、自宅の畑で育った花を手向ける。

 あの日仕事が早く終わり、長女と次女、友人と4人で花火大会に訪れた。普段は仕事で忙しく、楽しませようと思い立った。

 明石から遠い姫路。周囲には「なんでそんな遠い祭りに連れて行ったん」と聞かれた。「僕も相手の立場やったら、そんなふうに言うのかな」とこらえ、「しゃあないやん」とだけ返した。

 間もなく、自宅を訪れた新聞記者から「警備計画、こんなにずさんだったと知ってますか」と書類を見せられた。「起きるべくして起こった事故だった」と知った。

 若いながら遺族会の代表を務め、慰霊碑設置にも奔走した。想の像は、母親の妹の夫で彫刻家の桜井敏生さんが作品を寄贈、台座も親戚の石材店で調達した。「僕はどうしても現場に作りたかった。事故を知らん人でも『これ何なん?』と目に留まれば、知ることになるから」と話す。

 混雑で人が亡くなる-。当時多くの人が特異で不運な事故に感じたかもしれない。しかし、類似事故は過去にも起きていた。

 遺族らが今回出版した本によると、1956年に起きた新潟県・弥彦神社の事故は、参拝客によって山門下の石段上部で玉垣が崩れ、多くの人が落ちて124人が亡くなる大惨事だったという。

 三木さんは慰霊碑設置前、現地を訪れ、18歳の娘を亡くした90歳(当時)の女性に話を聞いた。「むしろに寝かされた娘の遺体を見つけたときの悔しさを話してくれた。半世紀たっても記憶は鮮明で、僕もこんなおじいさんになるんやなと思った」と振り返る。

 もし、事故がしっかり伝わっていたら-。女性は教訓が生かされなかったことを悲しんだという。

 事故から21年となった21日、想の像に優衣菜さんが好きだったヒマワリを置いた。「本当は来るのがつらい場所やけど、足腰が弱くなるまで通い続ける」と三木さん。

 歩道橋事故も風化すれば、また同じような惨事がどこかで起きるかもしれない。未来の事故を防ぎたい。本は、遺族がその願いを込めたもう一つの碑(いしぶみ)だ。(松本寿美子)

    ◇    ◇

 ◇本「明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠された真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の闘いの記録」の問い合わせは神戸新聞総合出版センターTEL078・362・7138(平日午前9時半~午後5時半)

【バックナンバー】
(3)悲しい手記にはしない
(2)心ない言葉に苦しんだ
(1)2人が、生きた証しを

明石
明石の最新
もっと見る
 

天気(9月7日)

  • 34℃
  • 27℃
  • 20%

  • 36℃
  • 24℃
  • 40%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

  • 35℃
  • 25℃
  • 30%

お知らせ