■次男を亡くした下村誠治さん
午後7時35分。乗ったバスがJR朝霧駅に着く。下村誠治は智仁(2)を抱っこして歩道橋に入る。混雑はしているが、人の流れは少しずつ進んでいる。傍らにはベビーカーを押す人たちも見えた。(書籍より抜粋)
北海道・知床半島沖で4月に起きた観光船沈没事故。3歳女児が犠牲になった。明石歩道橋事故で次男智仁ちゃん=当時(2)=を亡くした下村誠治さん(64)=神戸市垂水区=は、あの日のわが子と重ねて胸が張り裂けそうになる。群衆雪崩直前まで智仁ちゃんのそばにいた。しかし最後は手が離れた。「(女児も)両親から離され、寒い海を独り漂っていたかと思うと…」
つらい過去と向き合い、国土交通省・公共交通事故被害者支援室アドバイザーとして乗客家族を支援する。オンライン面会で「悲しみをどう克服しましたか」と尋ねられた。「克服はできませんよ」と返した。乗客の家族もまた、21年前の自らの姿だ。
事故後、遺族会の広報担当や会長、民事・刑事裁判の原告団長として、マスメディアの前に立ち続けてきた。
兵庫県明石市や警察、警備会社の警備責任を追及すると発表した翌朝、自宅の電話が何度も鳴った。「おまえらが子どもを連れて行くのが悪い」。知らない相手から罵倒された。裁判が始まると「そんなに金が欲しいのか」。市や警察の報告書、謝罪文の不備を指摘すると「あんなに謝まっている相手に何さまだ」。
知床の事故でも同様の現象が起きた。インターネットに散見される「海が荒れていたのになぜ乗船したのか」の書き込み。まるで被害者に非があるかのように。
下村さんは被害者支援の一環として誹謗(ひぼう)中傷の防止を訴える。「私たちは一般人。国は誹謗中傷に対する訴訟を手伝うのではなく、書き込みを素早く削除したり、取り締まったりしてほしい。被害を大きくしてはいけない」と力を込める。
そこまで奔走するのは、1991年に42人が死亡した信楽高原鉄道事故の遺族らに自らも支えられてきたからだ。歩道橋事故当時、彼らもまだ損害賠償請求訴訟のさなかだった。家族を失った悲しみを分かち合い、裁判の勉強会も開いた。全国初の強制起訴を実現させた刑事裁判を振り返り「素晴らしい弁護士の先生にも恵まれたが、やはり信楽の遺族の存在が大きかった。私たちだけではあそこまで闘えなかった」と感謝を口にする。
自らが歩んだ道のりは、知床の事故の被害者家族がこれから歩む道のりかもしれない。「自分たちが信楽の遺族にしてもらったことを考えると、ほっとかれへん。そのために生きている」。恩返しの思いを胸に、伴走していく覚悟だ。(有冨晴貴)
◇ ◇
本「明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠された真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の闘いの記録」の問い合わせは神戸新聞総合出版センターTEL078・362・7138(平日午前9時半~午後5時半)
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(1)2人が、生きた証しを

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