■母親を亡くした白井義道さん
遺体の女性は母に似ていた。でも母でないようにも見える。(中略)唇の傷には血が流れた痕。自分たちや孫たちにはつらい顔を一度も見せたことがなかった母。その母が見たこともないほど悲しい顔をしている。(書籍より抜粋)
今も脳裏に浮かぶ。成長した孫の髪をうれしそうに切る姿が。白井義道さん(62)=神戸市西区=の母トミコさん=当時(75)=は美容師だった。若くして夫を亡くし、女手一つで育ててくれた。
「自分はよく不器用だと言っていたけど、努力家で優しい母だった」。美容師引退後は絵画制作に打ち込み、いつもスケッチブックを持ち歩いていた。道端の草花、母の日にもらったカーネーション、明石海峡の景色。絵にはトミコさんの日常が描かれていた。
事故はテレビの速報で知った。トミコさんの自宅に電話をかけたがつながらない。対面したのは遺体が安置された明石署の道場だった。「何回見ても母だと思えなくて。信じたくなかったんやろね」。花火大会に行く予定だったとは知らず、誰かと行ったのか、どのように亡くなったのかは分からない。でも一つ想像できたことは「花火の絵を描きたかったんちゃうかな」。
義道さんは事故7カ月前、同じ大蔵海岸で開催された年末のカウントダウンイベントに家族と出かけた。歩道橋は混雑し、妻や子どもたちとはぐれた。トミコさんにも後日、当時の状況を話していた。
カウントダウンの来場者は約5万5千人。事故が起きた夏祭りは、例年12万~15万人が訪れていた。より混雑する状況を予見できたにもかかわらず、警備計画はカウントダウンのときの丸写しに近かった。「カウントダウンは幸いにも死者は出なかったけど、警備を見直していれば歩道橋事故を防げたはず」と訴える。一方で「もう年なんやから人混みには行かんときよと、自分が言っておけば」と自責の念にかられた。
後を絶たない悲惨な事故に胸が痛む。歩道橋事故後の取材で「再発防止に向けた取り組みが、親孝行できなかった私がすべきこと」と語り、遺族会の活動に参加し、裁判にも足を運んできた。しかし昨夏、事故20年を伝える新聞記者の熱意に触れ、はっとした。「自分は何をしてきたのか。もっと発信すべきなんじゃないのか」。自問自答した先に、本の出版があった。
編集の中心を担った。400ページ超の本には群衆事故発生のメカニズム、遺族会や裁判の歩み、警察や検察への不信も盛り込んだ。「悲しい手記だけにはしたくなかった。目の前であったできごとを記録することが再発防止につながる」。同じ悲しみ、怒りを繰り返さない。それが、今できる親孝行だと考えている。(川崎恵莉子)
◇ ◇
◇本「明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠された真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の闘いの記録」の問い合わせは神戸新聞総合出版センターTEL078・362・7138(平日午前9時半~午後5時半)
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(2)心ない言葉に苦しんだ
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