ひょうご経済プラスTOP 経済 大正7年創業、67年前に神戸から消えたバー「サンボア」 創業の地に復活

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大正7年創業、67年前に神戸から消えたバー「サンボア」 創業の地に復活

2021.06.26
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神戸三宮阪急ビルの1階にバー「神戸サンボア」を開く新谷尚人さん=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

神戸三宮阪急ビルの1階にバー「神戸サンボア」を開く新谷尚人さん=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

神戸三宮阪急ビルの1階にバー「神戸サンボア」を開く新谷尚人さん=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

神戸三宮阪急ビルの1階にバー「神戸サンボア」を開く新谷尚人さん=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

ハイボールを作る「神戸サンボア」の新谷尚人さん。勢いよくウイスキーを注ぎ(左)、炭酸水を入れるとちょうどグラスいっぱいに(中)。最後にさっと香りを付ける(右)=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

ハイボールを作る「神戸サンボア」の新谷尚人さん。勢いよくウイスキーを注ぎ(左)、炭酸水を入れるとちょうどグラスいっぱいに(中)。最後にさっと香りを付ける(右)=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

「神戸サンボア」の新谷尚人さんが作ったハイボール=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

「神戸サンボア」の新谷尚人さんが作ったハイボール=神戸市中央区加納町4(撮影・吉田敦史)

 そのバーは67年前、発祥の地・神戸から消えた。名を「サンボア」と言う。1918(大正7)年、前身の喫茶店が花隈で産声を上げてからバーに転じ、弟子やその親族らによって、カクテルやハイボールなどの味と技が各地で受け継がれてきた。今では大阪、京都、東京に地名などを冠した計14店舗にまで広がる。時を経た今年、新型コロナウイルス禍を乗り越え、“故郷”にも戻ってきた。(大盛周平)

 6月21日正午、阪急神戸三宮駅直結の駅ビル「神戸三宮阪急ビル」(神戸市中央区)。商業エリア「EKIZO神戸三宮」の一角に、明かりがともった。

 「神戸サンボア」。重厚な扉を開けると、チーク製の板越しに、白のバーコートを着たオーナーバーテンダーの新谷尚人さん(59)がたたずむ。

 店は、ビルの開業日だった4月26日にオープンするはずだった。だが、その前日から兵庫県内はコロナ対策の緊急事態宣言下に。酒類提供の自粛が求められ、初日から休業を余儀なくされたのだ。

 休業期間中は、付き合いのある酒販店を支援するために、お酒を卸値レベルの安さで提供する販売促進イベントを催すなどして過ごしてきた。約2カ月遅れのスタート。店の代名詞ともいえる氷なしのハイボールを手際よくつくり、初日の客をもてなした。

 「お待たせしました」

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 大学在学中に大阪市内の系列店「南サンボア」にアルバイトで入った。10年の修業をくぐり抜けて1994年にのれん分けが認められ、「北新地サンボア」として独立開業した。その後、2003年に東京・銀座、11年に浅草にもサンボアを開いた。

 「職業はサンボア」と自負する。老舗バーのルーツを8年にわたって独自に取材し、17年に「バー『サンボア』の百年」(白水社)を出版した。それによると-。

 1918年、淡路島出身の岡西繁一が「岡西ミルクホール」を、現在の神戸高速線花隈駅近くで開業した。今で言う喫茶店だったが、次第に洋酒を出すようになり、23年ごろに屋号をサンボアに変更したとされる。当時の文芸誌「ザムボア」からとったという説や、店のなじみ客だった文豪谷崎潤一郎が命名したとの言い伝えもある。

 岡西が開いた店で働いた者やその関係者らによって、サンボアは大阪、京都に店舗を増やした。のれん分けには10年の修業と、他の全サンボアを切り盛りする店主の了承が必要。ただし、チェーン店ではない。それぞれの店主がそれぞれのサンボアをつくり上げた。冷やしたウイスキーと「ウィルキンソン」の炭酸水を使い、「冷蔵庫を冷やすもの」「高価なもの」だった氷は入れず、最後にレモンピールをさっとふりかけるハイボールが、いつしか定番となっていった。

 一方、詳細は不明なのだが、創業の店はいつの間にか消えて、神戸はサンボアの“不毛の地”となる。いったん昭和初期にできた「三宮サンボア」も1年ほどで廃業したとされる。その名が戻ってきたのは1952年。元町の旧神戸朝日会館に「神戸サンボア」ができた。創業者の岡西氏が再び動いたとされる。だが、この店もわずか2年後の54年にバー「コウベハイボール」に改称した。

 今も残るコウベハイボール開店の「あいさつ文」をもとに、新谷さんは改称の背景をこう推察する。「サンボアからすると『義兄弟』のようなバーだった。価格帯の安いものを出すために、サンボアの名は使わなかったのだろう」。あいさつ文の中には「デフレ下」という言葉があり、当時の景況が影響したのかもしれない。

 バー「コウベハイボール」も、会館の建て替えに合わせて90年に閉店した。神戸におけるサンボアの歴史は、再び途絶えた。

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 「神戸はサンボアの原点。いつかは神戸に、という思いはずっとあった」と新谷さんは明かす。場所もタイミングも合致する時が、ようやくこの春に到来した。それが神戸三宮阪急ビルの開業だった。

 神戸での開店は必然だったのかもしれない。新谷さんが最初の独立店「北新地サンボア」を開く際、神戸サンボア、コウベハイボールと引き継がれてきた「バックバー」と呼ばれる酒瓶の棚を新店に移した。倉庫に保管されていたという。

 尊敬するサンボアでの師匠、鍵澤時宗さん(故人)が神戸の店で一時期働いたとされることも、意識にあった。おおらかだった師匠が生きていたら、神戸進出にこう言っただろうと思う。「おもろいやないか」

 大阪・北新地への出店後数カ月で阪神・淡路大震災が発生。浅草出店の1カ月後には東日本大震災があって影響を受けた。そして今回はコロナ禍。だが、新谷さんは「いつも通りのことをやるしかないから。乗り越えられるでしょう、きっと」と受け止める。グラスにウイスキーを垂らし、炭酸水の瓶を真っ逆さまにして勢いよく注ぎ込んだ。

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 通常の営業時間は正午~午後11時だが、まん延防止等重点措置下の現在は酒類提供を午後7時まで、同8時に閉店し、1グループ2人まで、利用時間1時間としている。土日・祝日は、県の要請に従って休業。ハイボールは1210円から。かつてコウベハイボールで人気だったカレー味のじゃがいもピクルスを再現し、提供する。

 神戸サンボアTEL078・381・8179