ひょうご経済プラスTOP 連載一覧 明日を拓く 震災と停滞の先に 第1部 フェリシモ社長 矢崎和彦さん (1)神戸学校200回

第1部 フェリシモ社長 矢崎和彦さん

(1)神戸学校200回
心の復興希求し続け

2014.01.02
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「神戸学校」を終えると講師や若手社員らと記念写真を撮る。「つながりが会社の財産になっている」と矢崎和彦社長=いずれも神戸市中央区浪花町(撮影・山崎 竜)

「神戸学校」を終えると講師や若手社員らと記念写真を撮る。「つながりが会社の財産になっている」と矢崎和彦社長=いずれも神戸市中央区浪花町(撮影・山崎 竜)

講師が色紙につづった「神戸学校」へのメッセージ。毎回、会場に掲示する

講師が色紙につづった「神戸学校」へのメッセージ。毎回、会場に掲示する

 20年余り続く長期不況の出口が見え始め、停滞が続いた日本経済は転換点に立つ。兵庫の企業の多くは1995年の阪神・淡路大震災による影響も癒えない中で、時代の変化に挑もうとしている。新シリーズ「明日を拓(ひら)く」は次代を見据えるトップに、復興の足取りと再生のヒントを聞く。第1部は通信販売大手フェリシモ(神戸市中央区)社長の矢崎和彦さん(58)。力を入れている公開講座「神戸学校」から話を始める。(桑名良典)

 -どんな講座か。

 毎月1回、講師を招いて「経験と言葉の贈り物」をテーマに講演してもらっている。震災後の97年に始め、昨年末で200回を迎えた。

 亡くなった漫画家のやなせたかしさんや建築家の安藤忠雄さん、脳科学者の茂木健一郎さんら各界の著名人が来てくれた。参加者は延べ4万人。継続は力なり、を実感する。

 -本業にはつながらない。

 被災者の心の復興が目的だった。95年秋に大阪から神戸市内に本社を移したが、街には青いビニールシートが目立っていた。惨状の中で何もできない。無力さを感じた。

 「そうだ」。建物の修復はできないが、被災者を勇気づけることはできる。ひらめいたのが神戸学校。以前から続けていた社内の勉強会を市民に公開した。

 -若いスタッフが目立つ。

 入社1、2年目の社員が中心となって運営している。講師の選定や交渉から行うこともある。普通なら、本の中やテレビの向こうにいる人。会うだけでも緊張する。それをすべて運営するのだから、ものすごく成長する。

 東京から来られる講師が多く、前日入りして1泊する人もいる。当日朝から、夜遅くまで一緒に過ごすことも珍しくない。

 それだけ長い時間を一緒に過ごすと、大概のことを伝え、知ることができて、お互いに深い関わりになる。それが新しいビジネスに発展したことも多い。

 -例えば。

 やなせさんのキャラクターがあめになったら面白い、という企画を社員が言いだす。確かに面白いが、普通は頼めない。だが、そういうつながりがあるとお願いできる。

 売り上げの一部でアフリカの子どもたちに栄養価の高いお菓子を贈る。そんな仕組みを提案すると、本人から「分かった」と返事がきた。これには驚いた。神戸学校という社会貢献が新しい事業につながっていく。

 -200回目のゲストはだれだった?

 全国で瞑想(めいそう)を指導する僧侶の小池龍之介さん。「人はなぜ悩むのか?」を語ってもらった。「自分の心を見つめ、今を大事に生きてほしい」という言葉が印象に残る。

 社内で勉強会を始めたのは三十数年前。思えば、本当に忙しい会社だった。みんな仕事を楽しんではいたが、夜中まで働くのは当たり前。日曜出勤もあった。通信販売のカタログは季節を先取りしてつくることもあり、多忙な中で季節感や感受性がなくなるような気がした。

 外部から講師を招いてプラスの刺激を受けよう-。そんな理由から勉強会は始まった。講師の話を聞くと、それだけで奮い立ったり、勇気をもらえたりした。そんな機会を、これからも神戸の方々に届けていきたい。

 【やざき・かずひこ】 1955年大阪市生まれ。学習院大経済学部卒。87年、兄の後を継ぎ、父が創業したハイセンス(現フェリシモ)の3代目社長に就任。07年から2年間、神戸経済同友会代表幹事。西宮市在住。

 【フェリシモ】 東証1部上場の通販大手。1965年創業。衣料品や生活雑貨などをカタログやインターネットで販売。2013年2月期の売上高は432億円、経常利益9億円。従業員約1100人(パート含む)。

■フェリシモの沿革■

1965年 ハイセンスとして大阪で設立

  87年 矢崎和彦氏が社長に就任

      カタログの書店販売開始

  89年 フェリシモに社名変更

  95年 本社を神戸市中央区に移転

      毎月100円義援金募集開始

      神戸カタログを発行

  97年 神戸学校をスタート

2006年 株式上場

  11年 東日本大震災の支援開始