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大和製衡 編

(上)風洞天秤 日本の航空力学を支える

2020.12.03
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JAXAの風洞実験設備。航空機用では国内最大で、模型への風圧や空気の流れを計測する「風洞天秤」の製作・保守を大和製衡が担ってきた(JAXA提供)

JAXAの風洞実験設備。航空機用では国内最大で、模型への風圧や空気の流れを計測する「風洞天秤」の製作・保守を大和製衡が担ってきた(JAXA提供)

 直径9メートル超の巨大な羽根車が勢いよく回る。その先で飛行機の模型が、吹き抜ける風を一身に受けていた。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)・調布航空宇宙センター(東京都調布市)の風洞実験設備。模型に風を当てて生まれる圧力を計測して、実機の設計に役立てる。

 同センターの風洞設備は航空機用としては国内最大だ。川西機械製作所を前身とする、はかりメーカーの大和製衡(やまとせいこう)(兵庫県明石市)が1964年、同設備の中核となる「風洞天秤(てんびん)」を納めた。

 風洞天秤は、模型を上端に載せるための支柱とセンサーなどで構成。風圧による支柱の前後・左右・上下などの揺れを電気信号に変えて数値化する仕組みだ。模型が100キロの風圧を受けて100グラム相当の揺れも見逃さないという。「模型にかかる微小な力を高い精度で測定できる技術がある」と、JAXA空力技術研究ユニット長の浜本滋(56)。「戦後に日本で開発された航空機のほぼ全てがこの風洞を使った」と強調した。

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 大和製衡は、はかり類を製造した川西機械の「衡器(こうき)部」が分離独立する形で、1945年12月に設立された。最初に風洞天秤を扱ったのは、前身の川西機械が誕生して間もない28(昭和3)年ごろにさかのぼる。

 創業者の川西清兵衛は、繊維機械の生産を軸にしつつ、当初から飛行機の製造を視野に入れていた。創業前に事業パートナーだった群馬の実業家、中島知久平(ちくへい)と物別れした後、川西機械を起こしてすぐに倉庫で飛行機事業を進めた。

 当時、先進地だったドイツから航空力学の権威・カルマン博士を招いて風洞実験装置を設け、機体の開発を加速させた。この時の風洞天秤はドイツ製で、後に自社製作にも乗り出し、太平洋戦争の終結までに陸海軍や川崎、三菱などの航空機メーカー、研究機関など44カ所に納めた。

 これらの経験は、戦後7年にわたる航空機生産の禁止を経て花開く。日本の開発力の遅れを取り戻すために計画されたJAXAの風洞実験設備で、天秤の製作会社として白羽の矢が立ったのだ。「1年がかりの大仕事だったと聞いている」と、大和製衡OBの中山和夫(71)は当時に思いをはせる。

 そんな中山にとっても忘れ得ぬ仕事が、2014年にあった天秤のオーバーホール(解体点検)だ。部品を取り換えて再び組み上げたが、思うように精度が出ない。製作したOBの助言をもとに若手担当者らが半年がかりで調整し、ようやく製作当初の高精度を取り戻した。

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 歳月をかけて磨いた風洞天秤の技術は、日本の根幹となる産業に育った自動車の開発にも生かされた。国内のほぼ全ての自動車・二輪車メーカーに納め、現在も国内外の19カ所で稼働する。81年には川崎重工業に納入した天秤が、明石海峡大橋の設計に活用。ミニチュア模型で強風に耐えられるかを検証する作業に役立った。

 中山は「社会への貢献は大きかったと自負する。連綿と技術をつないできてくれた先輩たちのおかげ」と畏敬の念を口にする。

=敬称略=

(長尾亮太)