震源のまち

 阪神・淡路大震災の震源に近い淡路市(旧北淡町)富島(としま)地区は、地震で26人が死亡し、建物の8割に当たる671棟が全半壊するなど壊滅的な被害を受けた。(撮影・岡本好太郎)

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富島地区

播磨灘に面した富島地区。細い路地に老朽化した住宅がひしめき合っていた。復興土地区画整理事業で県道を拡幅。721棟が移転したが、更地も目立つ=淡路市富島(いずれもパノラマ合成)

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野島断層

地表に現れた野島断層。真上にあった住宅は断層とともに北淡震災記念公園で保存公開されている=淡路市小倉

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生活道路

倒壊した家屋が生活道路をふさいだ=淡路市富島

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「淡路」の名称刻んだ被害

 「阪神・淡路大震災」は、政府が決定した震災の正式名称だ。地震発生から約1カ月後、閣議で決まった。
 震災当時、北淡町(現淡路市)の町長だった故小久保正雄氏が、「淡路」の名を入れるよう政府関係者に強く訴えた。名称に残さなければ被害が忘れ去られてしまう―との危機感からだった。今も「阪神大震災」という略称を使うマスコミはあるが、政府の文書などでは「阪神・淡路」が使われる。
 震源の島、淡路。島内で62人、被害が大きかった旧北淡町では39人が亡くなった。
 同町の中でも、特に甚大な被害を受けたのが富島地区だった。海に沈む夕日が美しい漁師町。復興土地区画整理事業の対象となり、被災の傷の上にまちづくりの重荷を背負った。住民の意見は割れ、事業完了までに14年の歳月を要した。
 道路や公園が整備された地区内を歩くと、「復興とは何か」という問いが頭の中を巡る。震災前、2200人を超えていた人口は今、1500人を切った。住民が歩んだ厳しい復興の道のりに、私たちはもっと学ぶことがあると痛感する。
 富島地区のすぐ近くには、地震を引き起こし、地表に現れた野島断層が横たわる。震災を忘れるな。淡路を忘れるな。物言わぬ断層がそう語り掛ける。(磯辺康子)

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