人波

 阪神・淡路大震災直後、被災地ではあちこちに長蛇の列ができた。給水、炊き出し、代替バスの停留所…。買い物や役所での申請にも多くの人が詰めかけた。人々は寒い中、じっと耐えた。(撮影・岡本好太郎)

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国道2号

国道2号を埋める自転車やミニバイク。渋滞で動かない自動車、不通になった鉄道に代わり、通勤や生活の足となった=神戸市長田区梅ケ香町

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仮設申し込み

仮設住宅などの入居申し込みには、受け付け開始前から長い列ができた。1次募集の抽選倍率は神戸市で約20倍。希望の場所に住める人は少なかった=神戸市東灘区住吉東町5、東灘区民センター

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スーパー

阪神西宮駅北側にあったジャスコ西宮店は地震で全壊した。店頭で被災者に生活必需品などを販売した後、約2週間で閉店。現在、跡地はコインパーキングになっている=西宮市和上町

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復興は待つことでもあった

 被災者は待たねばならない。水をもらうときも、罹災(りさい)証明という紙一枚を手に入れるときも、常に行列がある。
 阪神・淡路大震災後、待つことは私たちの暮らしの一部になった。鉄道や道路が寸断され、移動も行列や渋滞との闘いだった。バス、船、電車…。並び、乗り継ぎ、歩く。その繰り返しだった。
 生きている人だけではなかった。被災地の斎場は火葬が追いつかず、安置所には葬送を待つ遺体が並んだ。遠方の斎場への搬送も、渋滞の列に阻まれた。
 直後の混乱を抜け出しても、被災者は待つことを余儀なくされた。何度応募しても当選しない仮設住宅や公営住宅。住民の意見がまとまらないマンションの再建や区画整理。自力では動かせないことが、あまりにも多かった。
 被災地の外から見れば、復興の歩みが遅いと映るのだろう。そんな日々の中で、被災者には心身の疲労が静かに積み重なっていく。
 震災から間もなく20年。その道のりを振り返るとき、待つことの厳しさを思い出す。同時に、待つ余力さえなく、復興途上で倒れていった人たちの無念が胸に迫る。
(磯辺康子)

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