1995年1月17日の三宮

 阪神・淡路大震災から来年で20年になる。街並みから地震の傷痕が消えて久しい。「あの日」に何があったのか。記憶を次代につなぐために、私たちはもう一度、街を歩いた。(撮影・岡本好太郎)

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三宮センター街

地震でアーケードが崩落した三宮センター街。現在の開閉式アーケードが完成したのは3年2カ月後だった=神戸市中央区三宮町1

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生田新道

ネオンに誘われるように人が行き交う生田新道。多くのテナントビルが倒れ、道をふさいだ=神戸市中央区北長狭通1

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神戸阪急ビル

阪急三宮駅と映画館3館が入った神戸阪急ビル東館は鉄道の復旧を優先し、解体された。仮設建物で営業が続いているが、複合高層ビルへの建て替え構想が進む=神戸市中央区加納町4

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そごう神戸店

そごう神戸店は本館が大きな被害を受けた。売り場を縮小して営業を始め、1年4カ月後に壁面をガラス張りにして全面再開した=神戸市中央区小野柄通8

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破壊と再生の記憶

 その朝の神戸・三宮は静かだった。

 1995年1月17日。中心部を南北に貫くフラワーロードが波打っていた。見慣れたビルが道路に覆いかぶさっていた。火が出ている建物もあった。静寂の中に時折、「ボン、ボン」という大きな爆発音が響いた。

 前夜、いつものように飲み、食べ、電車に乗った。それから半日もたっていなかった。夢の中のような、映画の場面を見ているような。現実感がまるでなかった。

 ビルの解体が進んでいたころ、深夜に何度か自転車で三宮を通った。そのときも街は静かだった。壊れたビルを投光機が照らしていた。自分の自転車のキコキコという音が、妙に大きく聞こえた。

 あれから間もなく20年になる。地震の2日後に周辺で火災が発生した三宮センター街は、多くの買い物客が行き交う。夜の街を歩けば、明るい灯の中に笑い声が響く。

 こんな日常が戻ってくることを、あの朝は想像できなかった。

 自然の破壊力と人の再生力。その闘いの上に、今の神戸はある。震災の傷痕が消えても、私たちの一歩一歩を街はきっと記憶している。(磯辺康子)

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