第5部 阪急阪神ホールディングス社長 角和夫さん
(1)三宮再生 まちづくり貢献目指す
20年からの本格復興
阪神・淡路大震災やデフレ不況を生き抜いてきた経営トップへのインタビュー連載企画「明日を拓(ひら)く」。第5部は、鉄道を軸に百貨店や宝塚歌劇などを運営する阪急阪神ホールディングスの角和夫社長(65)に聞く。阪急電鉄で長く鉄道の現場を経験し、トップとしてバブル期の負債処理や、阪神電気鉄道の統合など多くの難局を乗り切ってきた。震災20年を迎えることしは、神戸三宮の駅ビル再建に着手し、神戸のまちづくりに貢献したい考えだ。(桑名良典)
-神戸への思いを。
あの震災からもう20年。神戸三宮の駅ビルは今も仮設のまま。ずいぶん時間がたってしまった。実は、小学生のころ初めて映画を見たのがここだった。アーチ状の建物に電車が出入りするのが大きな特徴で、神戸の街並みによく溶け込んでいた。
-再建は。
1999年にいったん計画を打ち上げたが、バブル期の負債処理を優先して後回しにしてしまった。ことし中に、ホテルを中心に商業施設も入れた複合ビルの建設に着手したい。将来的には神戸市営地下鉄西神・山手線との相互乗り入れを考えている。今の駅を地下化すれば、駅前に広い空間が生まれる。震災20年にしてようやく本格的なまちづくりのスタートを切ることができる。
-95年の震災当日は。
宝塚市内の自宅にいた。大きな揺れでテレビが宙を舞い、壊れたガラスの破片が家中に散乱した。家自体は無事だった。それを確認して、すぐ会社に向かった。
最寄りの阪急宝塚南口駅に行ったが、電車は動いていない。ホームから線路に降りて、宝塚駅まで歩いた。途中で電車が脱線していた。そのときでも、そんなに大きな震災だとは思わなかった。
ところが、駅長室に飛び込んで、倒壊した伊丹駅の映像がテレビに映し出された瞬間、「これは大変なことになった」と思った。深刻な事態だとようやく認識した。
-被害の全容は。
伊丹駅の駅舎だけでなく、西宮北口-夙川間の高架橋が倒壊。三宮の「神戸阪急ビル」も被害を受けていた。
当時は経営政策室の課長だったが、大阪の本社12階に設けられた対策本部に駆け付けた。京都線の庶務課長の経験があり、人の手配や配置などを補佐した。
幸いにも、京都線や千里線はその日のうちに運転を再開できた。それでも、これだけ大きな被害を受けたのだから、全面復旧に半年ぐらいはかかるだろうと思った。
-神戸線の被害は。
最も被害が大きかったのが西宮北口-夙川間の高架橋だった。3月下旬ごろから再建工事に着手し、全線開通まで5カ月近くかかった。騒音やほこりなどで沿線の方に迷惑をかけてはいけないと思ったが、逆に「急ぐように」と後押ししていただいた。おかげで24時間態勢で工事を進めることができた。
三宮は、駅ビルが被害を受けたものの、線路は無事だった。36(昭和11)年に乗り入れた当時の構造物で、その堅牢(けんろう)さに助けられた。もし壊れていたら、復旧はずっと先になっただろう。
神戸線の全線開通は95年6月12日だった。一番列車が通ると、沿線の幼稚園児や住民が手を振って喜んでくれた。インフラとして鉄道がいかに重要か、そしてそれを維持することが私たちの使命なんだ、と強く認識させられた。
▽すみ・かずお 1949年宝塚市生まれ。早稲田大政治経済学部卒。73年阪急電鉄。鉄道畑が長く、2000年取締役鉄道事業本部長、03年社長、06年阪急阪神ホールディングス社長。11年から関西経済連合会副会長。
〈阪急阪神ホールディングス〉 阪急電鉄や阪神電気鉄道、阪急交通社、阪急阪神エクスプレス、阪急阪神ホテルズなどのグループ企業をまとめる持ち株会社。2013年度の売上高は6791億円。純利益463億円。