第9部 神戸経済界の代表3氏に聞く
(1)高炉廃止 神戸製鋼所社長・川崎博也さん
阪神・淡路大震災とその後のデフレ不況を乗り越えてきた経営トップへのインタビュー連載企画「明日を拓(ひら)く」。シリーズ最終回の第9部は、神戸製鋼所(神戸市中央区)の川崎博也社長(61)、シスメックス(同)の家次恒(ひさし)会長兼社長(66)、川崎重工業(同)の大橋忠晴相談役(71)=神戸商工会議所会頭=の神戸経済界を代表する3氏に聞く。初回は当時、兵庫県内の企業で最大の被害を受けた神鋼の川崎さんから。
神鋼は震災で神戸製鉄所(神戸市灘区)の高炉が停止するなど1千億円超の被害を受けたが、2カ月半後に再稼働し「産業復興の象徴」とされた。2013年、その高炉を解体して火力発電所にすると決めた川崎さんは、世界的な鉄鋼の供給過剰に直面する今、その決断に自信を深める。
-社長就任直後に高炉の廃止を発表した。
13年4月1日付の就任を内示されたのが2月1日。当時は経営企画担当の専務だった。就任までの2カ月間に腹をくくり、4月の取締役会に提案した。
-社内の抵抗は?
役員に反対意見はなかった。OBからはいろいろ言われたけど。誰とて止めたくはない。高炉は製鉄所のシンボル。製鉄業の現場で育ってきた私にもよく分かる。だが、そのままずるずると利益が減り、社員を不幸にすることだけは避けたかった。
-決断は独りで。
最後は独り。くじ引きではないから。
-発電所の建設計画が先にあったのでは。タイミングが良すぎないか。
それは違う。鉄鋼事業をどうするか、ずっと考えてきた。経済が成熟した日本では鉄の需要が必ず減る。それなのに神戸製鉄所は高炉が小さくスケールメリットが発揮しにくい構造で生産コストが高かった。鉄鉱石から鉄を取り出す工程を加古川製鉄所(加古川市)に集約し、需要が減ってもコスト競争力を維持できることが必要だった。鉄鋼事業が市況悪化で13年3月期に502億円の経常赤字になったことが背中を押した。関西電力が外部から電力を購入する話を聞いたのはその後だ。
-震災では停止した高炉内で鉄が固まってしまうなど、日本の製鉄史上で類を見ない被害が出た。半年以上かかるとされた復旧を2カ月半で成し遂げた。
ほとんどの人が神戸製鉄所は廃止と思っただろう。それでも、当時の亀高(かめたか)素吉社長は社員の生活を守るため復活させる決断を下した。号令の下、一致団結できたのは現場の力、会社の底力だ。
-その高炉を止める。
思いは同じだ。このまま放置すると社員を路頭に迷わせることになる。2019~20年には市況が再び悪化すると読み、17年の廃止を決めた。だが、中国の過剰生産を背景に市況は既に乱れている。廃止のタイミングは結果的に良かった。あと2年早ければもっと良かったが。
-震災の時は。
加古川製鉄所で生産設備を管理、保守する部門の室長(課長)だった。巨大な圧延設備のボルトに緩みがないか、ハンマーでたたいて点検するよう指示すると、みんな油まみれになりながらやってくれた。
-神戸製鉄所では、自動車用エンジン部品「弁ばね」用鋼材の生産がストップ。世界シェアトップの製品の供給をいかに維持するか。東日本大震災でも指摘されたサプライチェーンの問題が起きていた。
被災した神戸の損失を加古川がカバーしなければと、職務に必死だった。原料岸壁では荷揚げ機械が倒れ、2人が亡くなった。後日、岸壁が崩れた光景を見て息をのんだ。原料が入らないと製鉄所は動かない。在庫で稼働を続けたが、危ない事態だった。1カ所の断絶が全体に波及する怖さを知った。
震災を機に、全拠点の耐震補強とバックアップの想定震度を一段上げた。それが東日本大震災で生きた。被災地からそう離れていない栃木県の真岡製造所は、生産機能に一切被害がなく、供給責任は果たせたと思っている。
(高見雄樹)
【かわさき・ひろや】 京大大学院工学研究科機械工学専攻修了、80年神戸製鋼所。IPP本部建設部長などを経て07年執行役員、12年専務。13年4月から現職。趣味は姫路市内の自宅で取り組むバラの栽培。和歌山県出身。