義援金

1793億円を超える善意

大変多くの義援金が集まりましたが、みぞうの被害のため、
被災者への配分はそれ以前の災害に比べ十分ではありませんでした。

義援金、被災者の当面の生活を支えるために活用

全国から集まった義援金は総額で約1793億円。当時としては戦後最多でした。
義援金は「被災者の当面の生活を支えるももの」と位置付けられ、
被災状況を確認した自治体では1995年2月1日(震災から15日)から支給が始まりました。
阪神・淡路大震災の義援金配分と支給額
義援金募集委員会は1995年1月29日に第1次分として、
死者・行方不明者、住宅の全半壊世帯にそれぞれ10万円の配分を決定しました。
兵庫県などは1次配分として、遺族と住居全半壊の世帯で合計8万件、80億円の支給を見込んでいましたが、
受け付けを開始すると住居被害が予想以上に多いことがわかり、最終的には456億円を超えました。
2014年3月31日現在、兵庫県南部地震災害義援金管理委員会事務局
第1次配分・第2次配分・第3次配分について
義援金はおもに3回に分けて分配されました。
緊急性が高く、被災状況が比較的明確な人的被害、住家被害を受けた人たちに対する見舞金が、
「第1次配分」として分配されました。
さらに、被災状況が詳しくなるにつれて明らかになってきた個別の状況に対する見舞金や、
住まいに関する助成金が「第2次配分」となりました。
その後の義援金の寄託状況やこれまでの請求状況などから追加配分が可能となり、
生活支援金として「第3次配分」が実現しました。
街角で行われた義援金の呼びかけ(1995年1月31日、神戸市中央区)

甚大な被害 1人あたりの分配は少なく

当時戦後最大規模で集まった義援金も、1世帯当たりに均等配分したとすると約40万円。
雲仙・普賢岳噴火災害(1990年)の約3219万円や、
新潟県中越地震(2004年)の216万円に比べると、大きく下回ります。
そのため、被災者は、災害援護資金などの貸付制度に頼らざるを得ませんでした。
ほかの自然災害との義援金を比べると
兵庫県の資料をもとに作成
生活再建を後押しする公的支援の必要性が叫ばれた。街頭で黄色いろうそくを配って犠牲者を追悼する被災者ら
(1998年1月16日、神戸市中央区三宮町、フェニックスプラザ前)