ひょうご経済プラスTOP 連載一覧 明日を拓く 震災と停滞の先に 第4部 尼崎信用金庫会長 橋本博之さん (1)激震 仕事は地域の暮らしに直結

第4部 尼崎信用金庫会長 橋本博之さん

(1)激震 仕事は地域の暮らしに直結
原点をあらためて痛感

2014.10.28
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本店営業部に立つ橋本博之さん。「人を助ける『金貸し』になるのが大切」=尼崎市開明町3、尼崎信用金庫(撮影・辰巳直之)

本店営業部に立つ橋本博之さん。「人を助ける『金貸し』になるのが大切」=尼崎市開明町3、尼崎信用金庫(撮影・辰巳直之)

震災直後の尼崎信用金庫西宮支店=1995年1月19日、西宮市

震災直後の尼崎信用金庫西宮支店=1995年1月19日、西宮市

 「中小企業と信用金庫は運命共同体。どんな苦境のときでも応援せないかん」。預金量2兆4千億円の巨大信用金庫、尼崎信用金庫(尼崎市)を率いる会長、橋本博之さん(73)の信念だ。産業と金融は表裏一体。金融は産業の血液である資金を円滑に供給する役割を担う。1995年の阪神・淡路大震災後の金融危機は、信用金庫などの地域金融機関をひときわ激しく揺さぶった。15年間務めた理事長を後進に譲ったのを機に、激動の日々を振り返ってもらった。(佐伯竜一)

 -震災発生時は理事総合企画部長だった。

 初めて体験する縦揺れと、棚の中で物同士がぶつかるような音で目が覚めた。尼崎の家の柱はしなり、女房に『布団にもぐれ!』と叫んだ。何か胸の上に飛んできた。布団を出たらテレビだった。幸いけがはなかったので車で家を飛び出した。

 -尼崎信金では職員と家族計5人が死亡。23店舗と事務センターが一部損壊。14店舗で停電や回線障害に見舞われ、信用システムが揺らいだ。

 政府・日銀の特例措置に基づき、通帳や印鑑がなくても預金者の言葉を頼りに一定額を出金した。ホストコンピューターが生きていて照会できたのが大きかった。企業からは融資の申し込みが集中した。有事の際は迅速さがすべて。本来は見積もりなしに設備資金など出せないが、言うてる場合ではない。原理原則は通用しない。

 -まさに正念場。

 地域と共に生きると口で言うのは簡単やが、平時に利益を追ううちに、誰を応援せないかんのか理解できなくなるきらいがある。これでは信金マンは勤まらん。大震災のとき、ほんまに大変やったのは地域住民であり中小企業だ。お金の流れが止まると市民生活は立ちゆかなくなる。お金をきちんと融通してこそ金融だ。未曽有の混乱の中、職員たちはあらためて原点を痛感した。金融は地域の暮らしに直結している仕事や、と。

 -修羅場にあって自身は何を感じていた?

 財務局や日銀への被害報告に追われる一方、断水した店舗に尼崎の旧知に無理を言って毎日水を運んでもらえるよう手配した。目の前の現実に懸命に対応していたが、忍び寄る危機を感じていた。当時、バブル期に積もった不良債権があらわになり、不動産に重きを置いたところが苦境に陥っていた。あの年の夏、兵庫銀行(現みなと銀行、神戸市中央区)と木津信用組合(大阪市)が破綻。『銀行はつぶれない』という常識が崩れた。

 -この4年後に理事長となり、激動に向き合うことに。

 今思えば、日本の金融システムが変わろうとする節目だった。兵庫・神戸を襲ったあの震災が、金融危機の引き金の一つになったと言えるかもしれない。

▽はしもと・ひろゆき 1941年大阪市生まれ。関西大法学部卒。66年尼崎信用金庫。支店長、企画部長などを経て99年理事長。阪神タイガースの成績と連動させて優遇する預金商品や業種別審査研修などを導入。県信用金庫協会長を兼任。14年6月から現職。尼崎市在住。

〈尼崎信用金庫〉 信用金庫は地域の中小企業や個人が会員として出資する非営利の協同組織。兵庫県には11の信金がある。尼崎信金は2014年3月期の預金約2兆4050億円、貸出金約1兆2086億円。預金量は近畿2位、全国6位。兵庫と大阪に計92店舗。会員約14万1600人、役職員約1400人。