第7部 カワノ社長 河野忠友さん
(1)DNAの継承 地震に負けぬ経営哲学
阪神・淡路大震災とその後のデフレ不況を乗り越えてきた経営トップへのインタビュー連載企画「明日を拓(ひら)く」。シリーズ第7部は、神戸のケミカルシューズ業界でいち早く革靴の生産を始め、直営店の運営に乗り出したカワノ(神戸市長田区)の4代目社長、河野忠友さん(49)に焦点を当てる。社業の合間に、神戸の経営者が集う勉強会に参加。仲間との交流を通じて、高品質にこだわる経営者の気風を「神戸のDNA」と感じている。(黒田耕司)
-どんな勉強会か。
ロック・フィールドの岩田弘三さん、「アンリ・シャルパンティエ」の蟻田尚邦(ありたなおくに)さん(故人)、フェリシモの矢崎和彦さん、シスメックスの家次恒さんの4人が2009年に立ち上げたグループで、名称は「神戸クリエーティブ・ヴィレッジ」。大先輩から若手まで25人が集まり、年に10回ほど開かれている。
-活動の理念や内容は。
「若手が神戸を盛り上げる活動をしてない」という先達の思いからスタートした。企業は神戸と共に存在し、歩んでいく意識を強く持とう-というのが趣旨。「ファッション都市宣言」や(ユネスコ認定の)「デザイン都市」という歴史、特徴を再認識した上で、まちの先進的な土壌を経営にどう取り込んでいくかを勉強している。形式はさまざまだが、最近は先輩経営者と若手との対談などを通じて、神戸への思いや経営スタイルを聞いてきた。
-8月3日にも開催された。
この日は、僕が公私ともにお世話になっているアシックスの尾山基(もとい)さんと対談させてもらった。一時的に経営が厳しかった頃から、スポーツ用品をファッションの切り口でブランドを立て直し、世界で「アシックスはかっこいい」と感じさせるまでに至った経緯を教わった。消費者が本当に手に入れたいものを作らないと商売にならない、と痛感させられた。
-勉強会は、自社の経営に生かされるのか。
規模が違いすぎる大企業とはビジネスモデルが異なるが、神戸には尾山さんをはじめ、世界企業のトップが「兄貴」と呼べる存在として隣にいる。その兄貴に経営のDNAを、フィロソフィー(哲学)を聞きたかった。
経営には営業、経理、マーケティングなどいろいろな要素があるが、詰まるところ、DNAと哲学が大事なんだと勉強会で再認識した。それを持っていれば苦しくても耐えられる。その会社特有のDNAは、経営者の話を聞くだけですぐ当社には備わらない。ただ、当社でも吸収できるような経営戦略、プロセスが見える可能性はあると思う。
-具体的にDNAや哲学とは何か。
当社は国内生産にこだわり、価格よりも品質を追求している。先輩たちの会社も、高価とはいえ、本当にいい材料で良質な商品を作っている。神戸の人は安いだけの商品を求めていない。そこに神戸のDNAの一端がある。連綿と培われた神戸のブランド力に磨きを掛けるものづくりを続けなければならない。
阪神・淡路大震災でまちの建物はたくさん壊れた。だけど、会社に根づくDNAや哲学は壊れていない。確かに息づき、受け継がれようとしている。
-震災当時のことを振り返ってほしい。
大学卒業後に就職した全日本空輸を辞め、カワノに入社して2年ほどが経過し、営業を担当していた。当時は神戸・ポートアイランドにあるマンションの18階で妻と2人暮らし。あの日の早朝、どーんと突き上げる衝撃で目が覚めた。鉄筋の建物がきしむ音と、なぜか一瞬目の前が真っ白になったことを覚えている。
幸いけがはなかったが、倒れるものはすべて倒れ、割れるものはすべて割れた。揺れが止まってもしばらくぼうぜんとしていたが、外の様子が気になって共用通路に出ると、真っ暗で、何の音もしない静寂の中、神戸のまちから炎が上がるのが見えた。
かわの・ただとも 1966年4月、神戸市長田区生まれ。1989年慶応大商学部卒業後、全日本空輸勤務を経て、92年6月カワノ入社。取締役、専務などを経て2006年11月に社長就任。日本ケミカルシューズ工業組合理事、神戸ファッション協会理事も務める。同市中央区在住。
<カワノ> 1921(大正10)年3月、河野護謨(ごむ)工業所として創業。当初はゴム長靴を手掛け、戦後にケミカルシューズを生産し、76年に現社名となった。婦人向けの皮革靴ブランド「バークレー」などを創設し、国内主要都市や中国、香港に計70の直営店、フランチャイズ店を展開。2014年8月期の売上高は約50億円。資本金4000万円、従業員数約280人。