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世界のミムラ~シューズ名工の軌跡(1)名声

2016.08.02
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記者会見で笑顔を見せる三村仁司さん(左)と伊藤舞選手=高砂市米田町古新

記者会見で笑顔を見せる三村仁司さん(左)と伊藤舞選手=高砂市米田町古新

 加古川の流れが国道250号と交わる播州大橋の西側。ここにシューズ工房「M.Lab(ミムラボ)」=兵庫県高砂市米田町古新=がある。靴作りの工具「ヤットコ」のマークを掲げた2階建ての建物。スポーツ用品大手のアシックスで、トップ選手たちの特徴を考え抜いた特注シューズを作り続けてきた三村仁司(67)が代表取締役を務めている。6月27日、ここに10社近い報道陣が詰め掛けた。

 居並ぶカメラの前に、今月5日開幕のリオデジャネイロ五輪で、陸上女子マラソンに挑む伊藤舞(32)=大塚製薬=がはだしで現れた。世界の舞台で戦うシューズを作るため、三村はメジャーで足のサイズを測り始めた。

 三村は2004年に厚生労働省の「現代の名工」に選ばれ、06年には黄綬褒章を受章した。09年の定年退職後にミムラボを設立。今も全国からアスリートが次々と訪れ、リオ五輪でもマラソン日本代表6人のうち4人の靴を製作する。

 大学4年時から三村の靴を履いているという伊藤は「私に一番合うシューズを作ってもらっている」と揺るがぬ信頼を口にした。三村は「彼女の場合はかかとが高い方が走りやすい。リオの粗い路面に合わせた靴を作りたい」と、にこやかに話した。

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 約50年に及ぶ三村の靴作り人生は、五輪と名選手を抜きにしては語れない。特にマラソンの記憶は鮮烈だ。

 ロサンゼルス大会(84年)で瀬古利彦のシューズ作りを担当。金メダル候補でありながら14位と不振にあえいだ苦悩を間近で見つめた。バルセロナ大会(92年)ではレース直前に靴を修正し、有森裕子の銀メダル獲得をサポート。シドニー大会(2000年)では、日本女子選手として史上初の金メダルに輝いた高橋尚子の快走を、大胆な工夫で支えた。アテネ大会(04年)では、シューズ作りにとどまらず、野口みずきに金メダルを取る戦術まで伝授した。

 依頼は海外からも相次ぐ。陸上競技以外でも、プロボクシング世界王者のシューズを一時期7人も作るなど、名をはせた。

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 三村が生まれ育ち、居を構えているのが、加古川市北西部の志方町。田んぼや畑などが広がるのどかな田園地帯だ。

 少年時代は兼業農家の両親を手伝い、あぜの草を刈って牛の餌にしたり、収穫した稲を干したり。車がほとんど通らなかった土道をグラウンド代わりにして、野球などに興じた。姫路の飾磨工業高校時代には、宝殿駅まで自転車をこいで、汽車で通った。

 「田舎で気が休まる。ええまちやと思いますよ」。名工は地元・加古川に人一倍の愛着を抱いている。

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 三村は今夏、シューズ職人として10大会目の夏季五輪を迎える。東播に拠点を置きながら、スポーツの歴史を足元から支えてきた。還暦を越えてなお第一線で頼りにされ続ける生粋の加古川人。その魅力に迫る。(敬称略)

(伊丹昭史)