カイシャの顔
(2)日工 100年前からトンボ印 「ニッコージャー」の顔にもトンボ
「日工のマークはどうしてトンボ?」。山陽電鉄江井ケ島駅(明石市)のホームに書かれた問題が目に留まった。アスファルトプラント大手、日工(同)の最寄り駅。1世紀を超える同社の歴史で、トンボは重要な役割を担い続けてきた。
トンボ印が生まれたのは創業した1919(大正8)年。当時の日本では欧米列強に立ち向かうため、国土を強くしようとの機運が高まっていた。シャベルやスコップなどの工具製作で日本の国土を背負い、世界に羽ばたいていこう-。そんな思いを込め、日本国(秋津島)の象徴、トンボ(秋津)印を商標登録した。
当初は精緻な意匠のトンボを商品のマークとして使用。70年にシンプルな図柄の通称「漫画トンボ」に会社のマークを統一した。ところがトンボが下を向く姿で、会社の成長を目指す社内には異論があったという。時を経て90年、右上を向いた現在の形になった。
マークだけでない。社内報は「トンボ」、全国の販売代理店組織は「トンボ会」、本社工場にあった居酒屋は「とんぼクラブ」…。まさにトンボ尽くしだ。
本社棟を訪れると、トンボ型のスタンドに掛かるシャベルが出迎えてくれた。今は子会社のトンボ工業(明石市)が作る。シェアの高い南米エクアドルでは「シャベルと言えばトンボ」と認識されているという。
そんな日工でちょっとした「事件」が起こった。2019年の創立100周年に社内公募で決めた記念ロゴからトンボが外れたのだ。秋津への愛はどこへ-。そう思われた直後、違う形でよみがえることになる。
20年に誕生した「防災戦隊ニッコージャー」だ。グループ各社の防災製品をPRするキャラクターで、顔にはトンボ印が描かれた。
「100周年で自社への愛が深まって、トンボへの注目が再び高まったのでは」と広報担当の岡橋早苗さん(28)。不死鳥のトンボ印は、日工のDNAであり続ける。(大島光貴)
【日工(明石市)】1919年、神戸発祥の総合商社・鈴木商店出身者らが「日本工具製作」の名で創業。50年代に建設機械の製造を始め、68年から現社名。アスファルトプラントで国内シェア70%を誇る。連結売上高388億円(2022年3月期)。従業員約千人。