カイシャの顔
(15)植垣米菓 「はじけるおいしさ」で求人効果 当初呼び名は「爆弾ボール」
いつ頃から、どれくらいのパターンがつくられたのか。誰が音階を考えたのか。結論を言うと、詳細な記録は残っていない。いや、失われたという方が正しい。
あられ~ うえがき うぐいすボ~ル。「ホケキョ」という鴬(うぐいす)の鳴き声で締める「鴬ボール」のCMだ。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災で、神戸市長田区西尻池町にあった植垣米菓の本社工場も被災した。貯水槽にひびが入り、地下の資料室に水が流れ込んだ。会社の歴史を記したものからCMのデータまで、多くが駄目になった。
商品の誕生は30年。もちに小麦粉を振りかけ、油で揚げたかりんとう風味のお菓子だ。時世下、当初は「爆弾ボール」などと呼ばれ、終戦後、梅のつぼみに似ている→梅に鴬→「鴬ボール」となった。今は「きな粉」「宇治抹茶」など22種類を展開し、売り上げの約4割を占める主力として愛され続けている。
4代目の植垣清貴社長(63)が「財産ですよね」と語るCMの記憶や伝聞をたどってくれた。メディア広告は戦後、「私の父がラジオ関西の専務と同級生で、ラジオCMから始まったと聞いた」。テレビCMは「昭和40年ごろにできたのでは」。担当者が「耳に残るものを」と広告代理店に依頼し、「はじけるおいしさ」などのコピーとともに消費者に届けた。
当時は工場を増設するなどした時代。社長は「売り上げもそうだが、何より人が集めやすくなったと聞く」。ちなみに95年の「鴬ボールミニ」発売時のテレビCMが今のところ最後のバージョン。以降は店頭の販促や交流サイト(SNS)発信に力を入れている。
なお、鴬ボール以外の菓子のCMではかつて米ロサンゼルスの日系人社会向けに、女優五月みどりさんを起用したおかきのCMがあったという。日本未放送。五月さんの所属事務所に確認したが「本人の記憶にも、資料にも残っておらず、お力になれずにすみません」ということだった。情報、募集中です。
【誕生】昭和40年代?
【特徴】「ずっと、ずっとこの形です」「はじけるおいしさ」「日本の味覚」などのワードとともに展開したもの、同社のキャラクター「かりんちゃん」「こりんちゃん」を起用したものなど多数あり、「10パターン以上はあったと思う」と植垣清貴社長。「あられ うえがき-」の音声は、植垣米菓の特設サイト上に「笑い声篇(へん)」と「植垣だよ篇」として公開中。
【植垣米菓(本部・加古川市)】1907年、神戸市兵庫区で創業。68年に現社名。阪神・淡路大震災で神戸市長田区の本社が被災。加古川市平岡町高畑に新工房を建設した。看板商品の鴬ボールは現在22アイテムを展開中。JR新大阪駅の駅ナカ商業施設「エキマルシェ新大阪」に2015年から直営店を出して好評。資本金は1千万円。従業員数は90人(22年12月現在)。