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パラ陸上の日本選手権男子200メートルで力走する大矢勇気。パリ・パラリンピックに向けて強化を続ける=6月12日、ユニバー記念競技場
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パラ陸上の日本選手権男子200メートルで力走する大矢勇気。パリ・パラリンピックに向けて強化を続ける=6月12日、ユニバー記念競技場
東京パラリンピックの銀メダルなどを首に掛け、D2Cのグループ本社を訪れた大矢勇気(右)。隣が採用を担当した青沼邦之さん=5月18日、東京都港区(同社提供)
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東京パラリンピックの銀メダルなどを首に掛け、D2Cのグループ本社を訪れた大矢勇気(右)。隣が採用を担当した青沼邦之さん=5月18日、東京都港区(同社提供)

 東京パラリンピックの開幕から24日で1年。兵庫県西宮市出身で陸上男子100メートル(車いすT52)の大矢勇気(40)=D2C=は昨夏、競技挑戦から16年越しの初出場で銀メダルに輝いた。その後の転職活動では思わぬ苦戦を強いられたが、陸上に専念できる環境を手にし、2年後のパリ大会で世界一を狙っている。(有島弘記)

 レースは昨年9月3日。国立競技場のトラックは雨でぬれ、悪条件となったが、大矢の心は晴れやかだった。

 「最高の舞台にやっと来られたという感動。無観客でもお客さんがいるように見えたし、さみしい感じはなかったですね」

 16歳で解体工事現場から転落し、脊髄を損傷。23歳で陸上を始め、2012年のロンドン大会を目指したが、日本代表選考会当日に母洋子さんが末期がんで他界。出場を取りやめ、16年リオデジャネイロ大会に目標を切り替えたが、練習のやり過ぎによる重度の床ずれで断念していた。

 紆余曲折を経てたどり着いた大舞台。よく覚えているのは、レース自体や表彰式ではなく、発走前の選手紹介だったという。中継のテレビカメラを向けられ、恩人たちに右拳を掲げた。ともにコーチとして伴走してくれた兄忠洋さん、同い年の岩見一平さん…。こみ上げるものをぐっとこらえ、「銀」をつかみ取った。

 東京大会に向けての期間は、当時の所属会社の配慮で午前勤務、午後練習の生活だったが、大会後はフルタイム勤務に戻ることが決まっていた。「パリで金メダルを目指す上で引っかかる部分があった」。競技に打ち込むため、退社した。

 東京大会後、「あっ、大矢選手」と、街中で子どもたちに声を掛けられるようになった。自国開催の露出効果は大きく、講演依頼も相次いだ。そのため、銀メダルの実績で、新たな所属先も順調に決まると考えていた。

 ところが、就職活動は想像以上に難航した。大矢は高次脳機能障害もあるため、面接の掛け持ちができない。1社ずつ応募したが、3社連続で不採用。銀行口座の残高が見る見る底に近づき、年が明けた。

 「採用されたら絶対に貢献すると思ったのに不合格。自己嫌悪になったし、そんなに甘いものではないとも痛感した」

 大矢をアスリート社員として迎えることを決めたのは、NTTドコモの広告・マーケティング事業を展開するD2C(本社・東京都)。グループ人材開発部の青沼邦之担当部長(42)は、オンラインの面談などを経て今年3月、練習を見学し、「真摯に練習に取り組んでいるか。つまり信用できるか否かだったが、会って熱量を感じた」と合格を伝えた。チャレンジを推奨する社風にも合致し、所属5人目のパラ選手になった。

 「練習に集中できる」と今の環境に感謝しながら、100メートルで苦手とする中盤以降の改善に一層力を入れる。6月の日本選手権200メートルで快勝するなど、2年後のパリ大会に向けて着実に強化中だ。競技生活をバックアップする青沼さんは「これはご縁。同じ船に乗っている」と同僚の吉報を楽しみにする。応援もまた力に変えて、1番輝いたメダルをつかみにいく。

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