連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

西日本豪雨

  • 印刷
浸水した地域では、水が引いた後も土砂が堆積したままだ=倉敷市真備町有井
拡大
浸水した地域では、水が引いた後も土砂が堆積したままだ=倉敷市真備町有井
真備東中学校の校庭はごみの山に埋もれていた=15日、岡山県倉敷市真備町辻田
拡大
真備東中学校の校庭はごみの山に埋もれていた=15日、岡山県倉敷市真備町辻田

 西日本豪雨で河川堤防が決壊して広範囲に浸水し、多数の犠牲者が出た岡山県倉敷市真備(まび)町。押し流された民家や崩れた道路が至る所に残されたままだ。住民には避難生活の疲れ、今後への不安が募る。記者が生まれ育ち、高校時代まで過ごした故郷の今を歩いた。

 実家は被災を免れたが、多くの友人が今も避難生活を続けている。現地に入ったのは14日午後。青々と広がっているはずの水田は稲が根こそぎ流され、ごみが散乱していた。特産のブドウ畑は軒並み浸水し、ビニールハウスが砂にまみれていた。道路にはごみが高々と積み上がり、異臭を放つ土煙が舞っていた。

 同町有井、末政川の堤防決壊現場。川の東西の堤防が切れ、原形をとどめていない。すぐそばの看板に「明治13年の大洪水で被災した33人の慰霊塔」とある。同じ場所で繰り返された悲劇に背筋が凍った。

2階まで濁流

 近くにある友人の嶋田健太郎さん(40)宅も2階まで水没した。豪雨が続いた6日夜、嶋田さんは避難準備をしていた。「バーン」。午後11時35分ごろ、約3キロ離れた総社市内のアルミ工場が爆発。家が揺れた。慌てて外へ出ると、近くの住民が避難を始めていた。「堤防が切れたと思い、皆が一斉に逃げた」。実際にはまだ決壊しておらず、「結果的に爆発に助けられた」と振り返る。

 妻や子ども3人とは別の車で家を出たが、川から水があふれ出た坂を上り切れず、嶋田さんは取り残された。市の施設に逃げ込んだが、2階まで濁流が押し寄せた。直下に迫る水に「別の高い場所まで泳ぐか、ここで我慢するか。もし判断を誤れば…」と死を意識した。現地にとどまり、自衛隊のボートに救出されたのは7日午前11時。家族と再会したのは、さらに2日後だった。

子の居場所を

 豪雨は多くの人々の日常を奪った。嶋田さんはハザードマップを手に、「家を建てた後にもらっても引っ越せないし、どうすればいいのか」と自問を続ける。

 夕方、嶋田さんの家族が避難する薗(その)小学校の体育館を訪れた。復旧作業を終えた大人たちが帰ってきた。「学校も被災し、子どもたちの居場所がない。安心して預けられる場所があれば復旧も早まるのだが」。同じく被災した友人の奥田直也さん(39)の言葉が頭をよぎった。

 嶋田さんは浸水した家を片付けながら「どの状態が復旧といえるのか見当もつかないが、やるしかない」と前を見据えた。長い道のりであっても、助け合い、一日も早く、元の生活を取り戻す。兵庫にいてもできる支援はあるはず。そう心に誓い、真備を後にした。(三宅晃貴)

2018/7/19
 

天気(9月7日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 20%

  • 37℃
  • ---℃
  • 40%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

  • 35℃
  • ---℃
  • 30%

お知らせ