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カイシャの顔

(7)多木化学 「神代鍬」130年の商標 農業振興に情熱、創業者の魂

2022.08.25
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【誕生】1893(明治26)年【名前】神代鍬(じんだいくわ)【特徴】2本の耒耜(からすき)を交叉(こうさ)した図。神代鍬印は昔も今も会社のトレードマーク。加古川市別府町には本社旧館や多木浜洋館など歴史を今に伝える建築がそろう。

【誕生】1893(明治26)年【名前】神代鍬(じんだいくわ)【特徴】2本の耒耜(からすき)を交叉(こうさ)した図。神代鍬印は昔も今も会社のトレードマーク。加古川市別府町には本社旧館や多木浜洋館など歴史を今に伝える建築がそろう。

資料展示室で看板を持つ多木勝彦・取締役上席常務執行役員。神代鍬の印に「創業者の精神が感じられる」=加古川市別府町緑町

資料展示室で看板を持つ多木勝彦・取締役上席常務執行役員。神代鍬の印に「創業者の精神が感じられる」=加古川市別府町緑町

本社旧館。重厚感を醸し出す建築に神代鍬のマークが刻まれる=加古川市別府町緑町

本社旧館。重厚感を醸し出す建築に神代鍬のマークが刻まれる=加古川市別府町緑町

農家向けに出した農事指導書=加古川市別府町緑町

農家向けに出した農事指導書=加古川市別府町緑町

 遠目に見るとかわいいリボンか、はたまた火のついたマッチか。シンプルかつ深遠。ロゴマークが放つ時空を超えた磁力に引かれて兵庫県加古川市別府(べふ)町にやってきた。

 ここは肥料メーカー、多木化学のお膝元だ。加古川の河口にかけて広がる土地に本社、工場、商業施設…。山陽電鉄別府駅前に止まる別府タクシーのぼんぼりにはこのマークがある。乗車して本社旧館に向かう。近代建築好きには有名な独特の黒壁の旧館の外壁にはあちこちにこのマークが見える。

 「じんだいくわ、です」。取締役上席常務執行役員の多木勝彦さん(38)が教えてくれた名称は「神代鍬(じんだいくわ)」。創業者の多木久米次郎(1859~1942年)の血を引く、明晰(めいせき)でスマートな青年経営者だが、創業者の功績を思う気持ちはひとしおだ。

 久米次郎は1885(明治18)年、獣骨を蒸圧して粉末化することに成功した。獣骨にはリン酸が豊富に含まれる。今でいう化学肥料の元祖だ。国内外に肥料を広め、企業を成長させ、「肥料王」と呼ばれた。同社の「百年史」に文章がある。「大昔神農ノ時ニ行ハレタル耒耜(からすき)ヲ交叉シタル図を以テ商標トナス」。その際、参考にしたという類書「和漢三才図会」には基となる絵があった。

 鋤(すき)のようでもあり、鍬のようでもあり…。この商標を登録したのは93(明治26)年。来年で130年。その生命力に感嘆する。旧館2階の資料展示室は商標が刻まれたモノにあふれている。時計、椅子、看板、旗、絵はがき、農事指導書…。同社が大正から昭和にかけて走らせた「別府鉄道」には神代鍬印が車体に刻まれていた。

 旧館から南に下ると4階建ての「多木浜洋館」だ。久米次郎が1933(昭和8)年ころに建てたこの迎賓館は全面が銅板張りで、通称「あかがね御殿」。農業振興に情熱を燃やした創業者の魂が身近に感じられる。

 生まれてからこのマークに囲まれている勝彦さんは「創業から今に連なる歴史を大切にしたい」。11月着工、2024年1月完成予定の新本社の入り口には久米次郎の銅像を置く考えだ。(加藤正文)

多木化学(加古川市)】1885(明治18)年創業の先駆的肥料メーカー。大正から昭和にかけて別府鉄道を経営。現在はアグリ、化学品、機能性材料、不動産などの分野で事業を展開している。東証プライム上場。2021年12月期は売上高328億円、経常利益29億円。従業員462人(単独、21年12月末)。