気付かないうちに、ダウンジャケットがぬれていた。但馬の冬特有の細かい霧だった。
昨年11月、兵庫県美方郡香美町小代(おじろ)区。国道482号沿いに、大きな石碑が立っている。
「名牛田尻(たじり)号顕彰碑」。全国の和牛(黒毛)の99・9%が、この1頭の血を引く。神戸ビーフの元祖中の元祖だ。
碑文が格調高い。
〈この名牛が生まれたのは偶然ではない。自然的な要因と人為的な条件が融合しなければ叶(かな)わなかった〉
国道から1キロほど奥に入った集落・久須部(くすべ)。福田富夫さん(77)、幸子(ゆきこ)さん(71)夫妻を訪ねた。母牛5頭を飼ってきたが一昨年、富夫さんが脳梗塞で入院。2頭に減らした。
玄関に数々のトロフィー。兵庫の和牛チャンピオン「名誉賞」のカップも二つある。失礼ながら、幸子さんのおっとりした雰囲気と結びつかない。
牛がいる納屋に連れて行ってくれた。黒い額をなで、「名誉賞は、この『おふく』のひいばあさんとおばさんがもらったんよ。血統がええんやね」。
小代の語源は「小さな田」。棚田の作業で役に立つのは、小柄で小回りが利く牛だ。坂道の上り下りで筋肉がつき、寒さに耐えるため細かく脂肪が入った。いわゆる、霜降り。
まさに「自然的な要因」。この風土でしか名牛は生まれなかった。
‡ ‡
12月初め、福田さん宅を再び訪ねた。納屋は味噌(みそ)の香りに満ちていた。
「煮えとる、煮えとる」。幸子さんが鍋をかき混ぜる。中には白菜、大根、ニンジン。バケツに移すと、牛が勢いよく食べ始めた。
「野菜の甘みが好きなんでしょうで。栄養もあるし」。産前産後や寒い日にやるという。
「子どもの分まで食べなあかんのだで」
始終、語り掛ける幸子さん。小代の実家でも飼っており、人生で牛がいなかったことはない。成育が良くない子牛と、湯たんぽを抱いて一緒に寝ることもあった。
但馬の牛飼いは手をかけ、目をかける。そうして細かな変化に気付き、ストレスや病気の少ない牛になる。
碑文にあった「人為的な条件」。牛は人がつくるもの。幸子さんを見ていると、胸に落ちた。
‡ ‡
小代で牛を飼っているのは15軒。うち60代以上が9軒。この40年で約240減った。後継者がいないためだ。
福田さんの息子3人も町を出た。今年、2頭の出産が終われば節目が来るかもしれない。
「私も腰を痛めとるし…。でも、踏ん切りがつかん。やっぱり牛が好きだで」。幸子さんの笑顔の眉が下がった。
集落から牛が消えていく。その中で、明るい話を耳にした。牛飼いを継いだ23歳の若者がいるというのだ。
(岡西篤志)