「あの時、何もできなかったんじゃないか」。17年前、頭が真っ白になりそうな中、必死でロープをたぐった。多くの後輩を持つようになった今、当時のもどかしさとともに伝える。「自分たちは『想定外』と言ってはいけない」
三田市消防本部(兵庫県)室谷健司さん(43)。警防救助係長として、救急や火災の現場へ出動している。活動中は後輩が不安を感じていないか、返答や顔色などを見てフォローする。尼崎JR脱線事故の現場では、自分もそうやって声を掛けてもらった。
当時26歳。入庁6年目で、救助隊員になって2年目に入ったところだった。あの日、三田の消防には事故約1時間後に応援要請があり、救助隊5人と救急隊6人が向かった。
状況は想像をはるかに超えていた。何がどうなっているか分からない。がれきを越えて先頭車両へ向かった。安否確認のためか、あちこちで携帯が鳴っていた。2両目が巻き付いたマンションのベランダに上がり、他の隊が車両から運び出した負傷者をロープで引き上げた。意識のない人がほとんど。学生服の子もいた。車内にたくさんの人がいても、助け出せる扉の数が限られている。早く助けたい。焦りに駆られた。
2日後、他の消防や警察とローテーションを組み、夜通し先頭車両を捜索した。自分が興奮状態にあったためか、辺りがやけに静かに感じた。マンションの地下に潜り、横倒しになった車両の扉から体を傷つけないよう慎重に運んだ。
もっと助けられなかったのか。同規模の事故が起きたらどう対応すればいいのか。隊員たちと話し合っても、思いは尽きなかった。地元に戻った直後の出動では、変に力が入っているような気がした。
あの時、現場では一番後輩だった。今は隊長として仲間を支える立場だ。脱線事故の後、救助隊は市外で起きた大規模な火災や事故の応援には出ていない。脱線事故を知らない若手も増えてきた。だからこそ、これまで見てきた現場の経験、これから起こりうる想定を言葉で伝える大切さを感じている。「現状で満足せず、技術も気持ちも常に向上させていきたい」(喜田美咲)
【特集】尼崎JR脱線事故

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