神戸市長田区の山陽電鉄西代駅そばの「喫茶 エス」を両親と営む矢形賢悟さん(57)=同区=は、幼い頃からかわいがってくれた広瀬卓蔵さん=当時(70)=を亡くした。
広瀬さんは、外国人をホームステイで受け入れたり自治会長をしたり、世話好きな人だった。矢形さんも「広瀬のおっちゃん」と呼んでなついた。「『けん坊、けん坊』と、かわいがってくれた」と振り返る。
地震の日、難を逃れた矢形さんは、つぶれた自宅の1階で柱の下敷きになった広瀬さんを助けに行った。
呼びかけると返事があった。手で土を掘り、柱をどかそうとした。だが、積み重なった柱は動かない。必死に助けようとした矢形さんに広瀬さんは言った。
「もう掘らんでいい。けん坊も子どもがおるんやから、そっち行き。逃げられないのはわかる。もうあかんから」。余震が続き、自分も巻き込まれる可能性があった。広瀬さんの妻に言葉を伝え、その場を離れた。
矢形さんは当時の情景を思い出しながら少し遠くを見た。「今振り返れば、道具を使って助けることはできたかもしれない。でも、その時は自分も靴を履いていなかったくらい必死で。素手でしか掘ることができなかった」
矢形さんは、広瀬さんのほかに、もう一人、よく面倒を見てくれた近所の森本勝さん=当時(90)=も亡くした。2人に近況報告をするため、毎年欠かさず東遊園地を訪れる。
「うちの子どもも大きくなりました。奥さんも子どもさんも、みんな元気ですよ。心配しないでください」(谷口夏乃)
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