
20日に東京都内で開かれるプロ野球ドラフト会議。公立の進学校、兵庫県立長田高出身で慶大の橋本達弥投手(22)も指名を待つ有力選手の一人だ。同校出身者初となるプロ野球選手の誕生に期待がかかるが、実は1965年の第1回ドラフト会議で南海から4位指名を受けた同校の選手がいた。山本堯一さん(74)=西宮市。春の県大会で準優勝を飾るなどし、同年のドラフトで近鉄から2位指名を受け、のちにプロで通算317勝を重ねた鈴木啓示投手(育英高出身)と双璧となる左腕として名をはせたが、高卒でのプロ入りを拒否。橋本投手と同じく慶大に進んだ上でプロを目指したが、けがで断念した。57年前の決断の経緯、そしてプロを目指す後輩へのエールを聞いた。(尾藤央一)
何かの縁なのか。現在は西宮市の甲子園球場前にある商業施設で仕事に励む山本さん。10月、高校野球の聖地の近くでインタビューし「なぜ指名を拒否したんですか」と単刀直入に聞いた。高校のアルバムや鈴木啓示さんの著書を開きながら、半生を語ってくれた。1時間の取材の中、消えない思いも口にした。
「プロ野球には行きたかった。後悔はずっとありますよ。初志貫徹の初志ができなかった」
友達に誘われ、神戸市立池田小4年から野球を始めた。当時は「4番ファースト」が定位置で「2試合目のピッチャーをやることはありました」。同市立西代中まではあくまで兼務だった。長田高へ進学すると上級生が7人。山本さんら1年生を加えて、ようやく試合ができる人数で、監督の「投手やれよ」の一言で本格的に始めた。「入学した時からプロを目指していたのは自分だけだった」と高取山を毎日走って足腰を鍛えた。「育英の鈴木君も違うルートで走っていたようです」。1年秋からエースを任されると、徐々に才能が開花していく。
■育英高の鈴木啓示さんと投げ合い
183センチの速球派左腕の信条は「常に真っすぐで勝負すること。カーブは1試合10球以内」と決めていたという。2年秋の県大会では強豪の滝川高を撃破。3年春の県大会では、準決勝までの4試合を1人で投げきり、報徳高を破って決勝へ。ダブルヘッダーとなった決勝は途中からマウンドに上がるも尼崎北高に敗れた。当時は「鈴木よりも球が速い」と県内でうわさになるほどだったというが、本人は「2桁三振も取るけど2桁四球も出す。守っている味方はしんどかったでしょうね」と苦笑いする。
3年夏の兵庫大会では3回戦で育英高と対戦し、鈴木さんと投手戦を演じた。大会屈指の好左腕の投げ合いに、神戸市民球場は満員に。試合は三回1死から鈴木さんに三塁打を打たれ、続く打者の3球目、「スクイズに気付いて外したら、大きくそれて捕手が取れなかった」と鈴木さんの本盗で育英高が先制。長田高は七回1死満塁の好機で山本さんが投ゴロに打ち取られるなど、本塁が遠かった。「夏の甲子園は自分たちに縁のない所だと思っていたが、『ひょっとしたら』の思いが出てきて変な色気に惑わされたのかも」。春の甲子園大会出場校に0-1で惜敗し、高校野球が終わった。
■黄金期の南海が指名、でも慶大へ
受験生だった時のドラフト指名は驚きだった。現在のように、事前にプロ志望届の提出も必要なく、意中の球団に入れないなどの理由でプロ拒否も多かった時代。高校2年時、巨人のスカウトから「中退して入団しないか」と誘いを受けたことはあったというが、春に慶大のセレクションを受け、進学に向けて夏から猛勉強に取り組んでいた。事前にどこの球団からも連絡はなく、11月17日、放課後に帰宅すると、南海から指名されたことを聞かされたという。翌朝の神戸新聞記事では「大学一本、とくに慶大が目標です。現在の自分の力ではプロは無理だと思います。大学へ行って自信がつけば、プロに行く気になるかもしれませんが」とコメントしている。
南海は当時、三冠王の野村克也捕手を擁しリーグ連覇と黄金期を築いていた。当時の記事には「南海が数少ない四人のなかに選んでくれたことはやはりうれしいです」と喜びもにじむ。山本さんによると、後日に南海のスカウトが自宅を訪れた際、父親が「息子を400万円で買うのか」と門前払いしたといい、自身は面会できなかったという。「本当は高卒で行きたかったですが、おやじには逆らえない。大学に行ってプロを目指そうと思いました」と東京六大学野球の舞台で活躍することを思い描き、神戸を離れた。
2月の受験に合格し慶大へ入学が決まると、ドラフト指名を受けていたこともあり、即戦力と期待され入学前から練習に参加。しかし、夏の大会以降は猛勉強を重ねており、野球をすぐにできる体ではなかった。焦りも重なり、1週間ほどで左肩に違和感を抱き、思うように投げられなくなった。3年秋にリーグ戦初登板。「大学での思い出は、『法政三羽がらす』と呼ばれた富田勝、田淵幸一、山本浩二に打たれたこと」と笑う。その後は社会人野球の強豪、住友金属へ入社し和歌山へ。同期には東京六大学野球歴代最多48勝を挙げ野球殿堂入りした山中正竹さんがいた。都市対抗野球大会で4強入りするなどし、30歳までユニホームを着た。第一線を退くと、営業マンに。関西で勤務するようになった35年ほど前から西宮で暮らす。
■橋本投手へ「初志貫いて。なぜなら…」
定年退職後はOBとして母校・長田高の試合に足を運ぶことも多いという。2018年夏の東兵庫大会も橋本投手が好投した準々決勝の報徳高戦などを現地で見届けた。「当時から球が速く、いいピッチャーになると思っていた。大学でもストッパーという役目をきっちりこなしている」と目を細める。長田高出身初のプロ野球選手誕生を心待ちにし「プロになりたいという思いを貫いてほしい。こんな年まで引きずるのやから」と後輩に夢を託した。
【兵庫県立長田高校】前身となる旧制神戸三中は1920(大正9)年に国の認可を受けて、翌21年に開校した。戦後の学制改革で共学となり、県内有数の進学校としてダイエー創業者の故・中内功氏や映画評論家の故・淀川長治氏ら3万人超の卒業生が巣立った。クラブ活動も盛んで、陸上部は2001年の全国高校総体(インターハイ)男子1600メートルリレーで優勝したほか、女子走り幅跳びの日本高校記録を持つ中野瞳さんや昨年のインターハイ女子七種競技を制した中尾日香さん、ロンドン五輪男子マラソン代表の山本亮さんらを輩出した。硬式野球部は16年の選抜高校野球大会に21世紀枠で初出場。今年夏の兵庫大会も67年ぶりとなる4強に進んだ。20年には創立100周年記念式典が開かれた。神戸市長田区池田谷町2。

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