阪神・淡路大震災は17日、発生から丸20年を迎えた。発生時刻の午前5時46分に合わせて各地で追悼行事が営まれ、東日本大震災と新潟県中越地震の被災者も、神戸で祈りをささげた。復興途上にある古里の姿と重ね合わせ、午前5時46分、静かに目を閉じた。
三宮の東遊園地には、宮城県名取市の漁師菊地篤也さん(52)の姿があった。東日本大震災で、同市閖上(ゆりあげ)地区の自宅が津波に流され、中学2年の長女ななみさん=当時(14)、母とも子さん=同(67)=が亡くなった。
家族も家も船も、津波はさらった。「『頑張れ』って言葉が嫌いになった。何を頑張れっていうのか…」
震災2年後、新しい船が完成し、漁に出た。だが悲しみは癒えない。地元の追悼式にはまだ、足を運べない。
今年、同地区で被災した9人と一緒に初めて神戸を訪れた。時報とともに祈りの瞬間が近づくと、ななみさんの写真を見つめた。こぼれる涙を、何度も手でぬぐう。
黙とう-。
「20年たっても、神戸もおんなじなんだって思った。もっと早く来れば良かった」
そう話す菊地さんの表情は、東遊園地に足を踏み入れる前より少し緩んでいた。
新潟県長岡市山古志からは、6人が神戸市長田区の鷹取商店街を訪れた。2004年の中越地震で、真っ先に支援に駆けつけたのが同商店街の人たちだった。
中越地震当時、中学1年で、自宅が全壊した畔上(あぜがみ)凌(りょう)さん(23)は初参加。昨夏から山古志の「復興交流館」で案内スタッフとして働く。「神戸の姿は中越のこれから。ここで感じた空気を地元で伝えていきたい」
(上田勇紀、小尾絵生)