#あちこちのすずさん
戦時中の日常を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」。神戸新聞は戦後75年となった今夏、NHKや全国の地方紙と連携し、「#あちこちのすずさん」キャンペーンと題し、主人公のすずさんにちなんだ戦時中のエピソードを募りました。当時を生き抜いた人たちの、何げない日々を紹介します。
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神戸市中央区に住む大西豊子さん(86)の大好物は、キュウリのぬか漬け。日々の食卓には自家製のぬか床で漬けた旬の野菜を並べ、「自前の歯31本でバリバリ食べる」と笑う。
ぬか漬けを好きになったきっかけは、戦時中の思い出にあった。
大西さんは加古川市出身。終戦の1年ほど前から、母や9歳下の弟と、同市の市街地から市北部の上荘町にある親戚の家に疎開した。
防空壕で震えながら爆音が過ぎ去るのを待ったり、空腹で眠れない夜があったりした疎開前の生活から一転。当初は父や兄、姉と離れるのが寂しかったが、疎開先では「自然の中でのびのびと遊んだ」という。
1歳に満たない弟を背負ったまま虫捕りをしたり、野畑を駆け回ったり。都会から疎開した子をいじめる「ガキ大将」と取っ組み合いのけんかをすることもあった。「怖かった戦争を少しだけ忘れられて、田舎生活を満喫した」
ある日、新婚だった叔父の家で昼食を食べることに。美人で優しかった叔母が、当時は手に入りにくかった炊きたての白米と、自家製のキュウリのぬか漬けを用意してくれた。
パリパリとした歯ごたえ、独特の酸味、ぬかの風味…。空腹だったこともあって箸が止まらず、キュウリ5本分をぺろりと食べてしまったという。叔母は目を丸くしつつ、「お代わりあるよ」と喜んでくれた。
戦後も交流のあった叔母はすでに亡くなったが、今もキュウリの漬物を食べると、米ぬかの素朴な香りとともに、叔母の優しさや疎開先での生活がよみがえってくる。「あの味を超えるものは70年以上たっても作れない。でも、娘や孫は私のぬか漬けも褒めてくれるんですよ」。自慢の歯を見せほほ笑んだ。(末永陽子)
2020/9/13-
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