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記者が語る 最初の1週間
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【20】出会った一人一人の顔 今も忘れない 写真部記者(当時)藤家武 映像写真部次長 2020/03/25
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【19】それでも撮った。感じていないふりをして 丹波総局員(当時)田中靖浩淡路総局長 2020/03/18
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【18】国生み神話の神社 大鳥居は無残に 津名支局長(当時)今中秀穂神戸新聞総合印刷・地域編集部次長 2020/03/11
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【17】3日間の暗闇「神様、なぜ」と女性は叫んだ 香住支局長(当時)中部剛報道部デスク 2020/03/04
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【16】取材か救助か 迷う時間はなかった 社会部記者(当時)浜田豊彦整理部デスク 2020/02/26
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【15】病院は薄暗く、不思議なほど静かだった 社会部記者(当時)網麻子文化部デスク 2020/02/19
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【14】地滑り現場は1日過ぎても煙が噴き出していた 姫路支社記者(当時)菅野繁整理部第二部長 2020/02/12
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【13】駆け付けた海兵隊員に被災者は笑顔を見せた 姫路支社記者(当時)藤原学報道部デスク 2020/02/05
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【12】「今起きていることをしっかり記録して」 社会部記者(当時)陳友昱運動部長 2020/01/29
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【11】取材経験ゼロ 写真だけはと街に出た 審査部記者(当時)堀井正純文化部記者 2020/01/22
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【10】学生の遺体に カメラを向けられなかった 文化部記者(当時)長沼隆之報道部長 2020/01/15
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【9】何のために書くのか 被災者から教わった 阪神総局記者・宝塚市担当(当時)小山優報道部デスク 2020/01/08
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【8】「命を奪う。これが震災なんや」 写真部記者(当時)岡本好太郎映像写真部長 2019/12/25
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【7】つながった電話に涙がこぼれた 文化部記者(当時)片岡達美文化部デスク 2019/12/18
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【6】「生きてたね」 抱き合って再会を喜んだ 阪神総局記者(当時)徳永恭子報道部専任部長 2019/12/11
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【5】真夜中の避難所 「ここはいっぱいやで」 文化部記者(当時)竹内章ネクスト編集部長 2019/12/04
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【4】震源地近くから一報 「富島は壊滅状態です」 淡路総局員(当時)松井元報道部デスク 2019/11/27
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【3】怒鳴られても仕方ない シャッターを切った 社会部記者(当時)松岡健文化部長 2019/11/20
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【2】遺体発見 かぶせた布団から足先が見えた 社会部記者・警察署担当(当時)小本淳整理部第一部長 2019/11/13
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【1】あの朝網膜に焼き付けた「’95 1 17」 阪神総局記者・西宮市担当(当時)志賀俊彦東播支社長 2019/11/06