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改訂した文集を手に平和への思いを語る松浦暁了さん=たつの市内
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改訂した文集を手に平和への思いを語る松浦暁了さん=たつの市内

 81年前の12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった。兵庫県太子町福地の了源寺前住職、松浦暁了(きょうりょう)さん(83)は戦争体験文集「子や孫に伝える記」に沖縄戦の寄稿などを加え、8日を発行日として500部の無料配布を始めた。文集には父の覚了さんが、処刑されたBC級戦犯の教誨(きょうかい)師を務めたことも書き記している。(直江 純)

 松浦さんは元姫路市立中高の英語教諭で、現在は保育園理事長を務めている。文集は1995年の戦後50年が初版。知人らに姫路空襲や疎開の体験記を寄稿してもらったが、戦後70年の第2版では、それまで自身も知らなかった父の逸話を大幅に加筆した。

 同じ浄土真宗大谷派の僧侶だった父は従軍先のシンガポールで終戦を迎え、翌年復員したと聞いていた。死後20年以上たった2011年、ジャーナリストから取材を申し込まれて驚いた。父がBC級戦犯が処刑されたチャンギ刑務所の教誨師だったというのだ。

 生前の父が、戦犯の遺稿集を熱心に読んでいたことを思い出した。ページをめくると数百人の遺書のうち約60人の名に赤色で印が付けられていた。「父が最期を見送った人も含まれているのだろう」。松浦さんはそう推測する。

 捕虜殺害の罪に問われて刑死した木村久夫上等兵もその一人だった。「友のゆく読経の声を聞きながらわれのゆく日を指折りてまつ」。歌人・吉井勇に師事し、京大から学徒出陣した木村さんは父に辞世の歌を託していた。

 木村さんは哲学書の余白に無実を訴える書き込みを残しており、戦後注目を集めて多数の評伝が出版されてきた。松浦さんは「それまでBC級戦犯の悲劇は詳しく知らなかった。父からもっと話を聞いておけば」と悔やむ。

 松浦さんは戦後75年にも文集を加筆して第3版を発行。沖縄復帰50年の今年は、沖縄戦の戦没者遺族の寄稿など約30ページを加えた。開戦した責任を忘れまいと12月8日を発行日に選んだ。

 「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」。巻頭言に田中角栄元首相の警句を引用した松浦さんは「過去の教訓に学び、子や孫に平和を残したい」と訴える。

 B5判140ページ。希望者には無料で郵送する。了源寺TEL079・276・1266

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