連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

尼崎JR脱線事故

  • 印刷
「ここに来ないと、ちゃんと兄に会えていない気がする」-。上田昌毅さんをしのび、3年ぶりの追悼慰霊式に参列した弟篤史さん(左)と父弘志さん=25日午前、尼崎市久々知西町2(撮影・中西幸大)
拡大
「ここに来ないと、ちゃんと兄に会えていない気がする」-。上田昌毅さんをしのび、3年ぶりの追悼慰霊式に参列した弟篤史さん(左)と父弘志さん=25日午前、尼崎市久々知西町2(撮影・中西幸大)

 尼崎JR脱線事故(兵庫県尼崎市)から丸17年となった25日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2年連続で中止となっていた追悼慰霊式が、事故現場の祈りの杜(同市久々知3)で開かれた。「ここに来ないと兄に会えていない気がする」「元気な限り現場で娘を思いたい」-。遺族らは、亡き人とのつながりを求めて現場に向かい、追悼の思いを届けた。

 「現場に来られて、慰霊式に出られたのはすごくうれしい」と話したのは、兄昌毅さん=当時(18)=を亡くした上田篤史さん(32)=神戸市東灘区。2歳の長女が元気に育っていることなどを報告して「この場だから兄に伝わりやすい」と感じたという。

 父弘志さん(67)=同市北区=は、昌毅さんに「世の中の事故に対する関心が薄れても、JR西日本としっかり向き合うからね」と誓った。コロナ禍によるJR西の赤字経営で「安全への投資に悪影響が出ないか」との心配が拭えない。

 長女の平野智子さん=当時(39)=を失った同県丹波市の上田直子さん(83)は昨年、腰を圧迫骨折し、歩きにくくなったが「今年で最後かもしれない」と、夫の秀夫さん(84)と支え合って現場を訪れた。秀夫さんも病気を抱えており、検査を延期して臨んだ。

 智子さんが残した3人の息子は、東京や大阪で独立しており、長男には子どもも生まれた。「私らが忘れんと智子を見守るのが、孫たちとの約束」と、この日だけは少し無理をする。

 事故後は毎日、朝晩に智子さんが大好きだったサイホンコーヒーを仏壇に供えてきたが、今年初めて現場にコーヒーを持っていった。「年月がたつごとにつらい思いが強まっている」。碑に刻まれた名前を見るたび、「なんでこんなところに書かれてるの」と悔しい思いがこみ上げる。車両の一部やパネルの展示などを通して、事故の悲惨さが継承されることを願う。

 コロナ禍が続く中、オンラインで式典を視聴した遺族や負傷者もいた。申し込んだのは62組で、父繁さん=当時(57)=と母靖子さん=同(59)=を亡くした会社員小杉謙太郎さん(38)は、東京都内の自宅で次男春太郎ちゃん(4)と見守った。「まだ意味を理解していないだろうけど、少しずつ事故のことを伝えていきたい。休みの日には現場に行きたい」と思いをはせた。(小谷千穂、堀内達成)

2022/4/26
 

天気(9月7日)

  • 34℃
  • 27℃
  • 20%

  • 36℃
  • 24℃
  • 40%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

  • 35℃
  • 25℃
  • 30%

お知らせ