あの日と同じように晴れた空の下、大切な人を失った人、救出作業を見つめるしかなかった人、そして事故の教訓を忘れまいと誓う人も。尼崎JR脱線事故から17年となった25日、現場に整備された慰霊施設「祈りの杜(もり)」では夕方から一般の献花も受け付け、日没後も手を合わせる人が絶えなかった。
2両目で負傷した小椋聡さん(52)=多可町=は、3年ぶりの慰霊式に参加した。昨年の発生時刻は地域の草刈りをしていたといい「今の自分にとって大事なのは、住んでいる地域を守ること。これが時間が過ぎるということなのかな」。
現場を訪れると17年前がよみがえる。一方で屋根に覆われた現場は「遠くなった気がした」といい「リアリティーのあるものにし、見た人に『どう生きるか』というメッセージを届けないと」と訴える。
同じ2両目で重傷を負った宝塚市の60代女性は、娘と折り鶴を手向けた。「家族を思えば、生きていて良かった。でも犠牲者やご遺族に申し訳ない気持ちは変わらない」。近くに住んで現場に駆け付けた矢野隆章さん(64)も当時、目前の惨状にぼうぜんと立ち尽くし「何とかせなあかんかったのに」と悔やみ続ける。
現場脇に社屋を構える「ショウワ」の社員ら15人も花束を手に現場へ。近くの会社で働いていた女性(55)は「軽々しくは言えないが、遺族の方が自分の事を大切に思える時期が来てほしい」と願う。
そして若い世代の姿も。 「JRに就職しようと思っている以上、現場を目に焼き付ける必要があると思った」。運転士を志す専門学校生の男性(18)=大阪市=は発生時刻の午前9時18分近くに通過した列車に手を合わせた。
3月までJR東日本で車掌を務めた西宮市出身の男性(26)は「僕らこそ、忘れてはいけない」と献花した。事故と同年に起きたJR羽越線脱線事故の遺族宅に近い駅に勤務し、5月から西宮で測量関係の仕事に就く。「形は変わっても安全に関わる。二度とこんな事故を起こしてはならない」と誓った。(大橋凜太郎、広畑千春、浮田志保)