社説

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 岸田文雄首相は先週、参院選の街頭演説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」を秋に実施すると発表した。極めて異例の扱いである。

 国葬の対象者などを明文化した戦前の「国葬令」は、政教分離を定めた現行憲法の制定で失効し、根拠となる法令はない。首相経験者の国葬は1967年の吉田茂元首相が最後で、80年に在職死亡した大平正芳氏の「内閣・自民党合同葬」が原則踏襲されてきた。

 岸田首相は、国の儀式を所掌する内閣府設置法があり、閣議決定によって実施は可能とした。費用は全額を国費で負担する。

 凶弾に倒れた元首相を悼む声は国内外に広がった。心から冥福を祈りたい。ただ、法的根拠がない国葬を執り行うには相応の理由が必要である。岸田首相が国民に十分納得のいく説明をしたとは言い難い。

 国葬の理由として、東日本大震災からの復興、経済再生、日米外交などを挙げた。だが、こうした安倍政権の「実績」には賛否両論があり、政治的評価は定まっていない。

 安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更や安全保障関連法成立など、保守色の強い政策を反対意見を押し切って進めた。国会での議論を軽んじ、批判を排除する姿勢は鮮明だった。森友学園を巡る公文書改ざんや「桜を見る会」など、安倍氏を取り巻く疑惑の真相はなお未解明の部分が残る。

 安倍氏を「非業の死を遂げた偉大な指導者」と持ち上げ、国葬を営むことで負の側面にふたをする意図はないか。安倍政治の功罪は、引き続き検証されなければならない。

 岸田首相は「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と国葬の意義を強調した。だが、安倍氏が民主主義を象徴する政治家だったと考える国民ばかりではないだろう。国葬は違和感を覚える人々の反発を招き、国民の分断を深める恐れがある。

 法的根拠も国民的合意も曖昧なまま、国葬を党内基盤の安定や憲法改正などの推進力に利用する思惑があるとすれば、それこそ民主主義とは相いれない。事件の背景も不明な部分が多く、性急な決定は疑問だ。

 最近では、2020年の中曽根康弘氏の「内閣・自民党合同葬」に、政府が総費用のほぼ半分に当たる約9600万円を支出し、異論が出た。今回の全額国費負担が妥当なのか、国会の閉会中審査などで議論する必要がある。

 何より弔意は国が求めたり、強要したりするものではない。政府は国葬にこだわらず、政治的な立場の違いを超えて元首相への哀悼を静かに表明できる場を再考すべきだ。

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