1964年東京五輪の最終日にあった男子マラソンは、円谷幸吉(つぶらやこうきち)が銅メダルに輝いた。一方、8位に終わった君原健二(78)は五輪後に競技を離れ、一時は引退を考えた。
その君原は68年のメキシコ五輪で銀メダルを獲得する。雪辱を後押ししたのが「高地トレーニング」だ。
高地民族のアベベ・ビキラ(エチオピア)がローマ、東京両五輪を連覇し、68年の開催地は標高2300メートルのメキシコ市。日本でも研究プロジェクトが始動していた。「酸素が薄い高地で練習するとどうなるか。コーチから『モルモットとして参加しないか』と誘われ、興味が湧いた」
メキシコでの高地合宿に3度帯同し、本番前も長期間練習を積んだ。「最初は動悸(どうき)がしたが、次第に感覚が身に付いた。成績に良い影響はあったと思う」。同い年の盟友円谷が重圧を苦に自死していただけに、遺志を継ぐメダルでもあった。
君原の成功後は、多くの長距離ランナーに欠かせない練習法となっていった。2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子(47)が拠点にした米ボルダーも、標高1600メートル級の高地だ。
近年は心肺機能に加え、筋力トレーニングへの有効性が判明。球技などにも広がる。平地で高地体験ができる「低酸素室」の導入も進み、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で8強入りした日本代表も採用した。
昨春、兵庫県芦屋市に新たなジムがオープン。標高2500メートルの低酸素空間を実現した。体験した北京五輪陸上男子400メートルリレー銀メダリストの朝原宣治(47)=神戸市北区出身=は「気圧の変化が苦手だったが、これなら手軽にできる」。監修した大阪市立大教授の岡崎和伸(運動生理学)は「トップ選手の特殊な練習方法がより身近になる」とみる。
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人工知能(AI)の活用など競技を取り巻く環境が変わる中、競技自体の変貌を実感するオリンピアンもいる。
「飛び込む高さこそ変わらないが、競技性は雲泥の差」と話すのは飛び込み女子の馬淵かの子(81)=JSS宝塚。64年まで3大会連続で五輪に出場し、20年東京に寺内健(39)ら教え子を送り出す。
最大の変化は飛び板。年々弾力性の高い材質が採用されてきた。「私の若い頃はヒノキの板。今の金属板はしなる分、難易度の高い技が求められる。見る側は面白いけれど選手は大変」
一方で変わらないものもある。自国開催の五輪に対する熱い思いだ。
君原は、競技生活の一番の思い出を64年東京五輪と言い切る。「雰囲気が素晴らしかった」。20年は聖火ランナーとして円谷の故郷・福島を走る。=敬称略=(山本哲志)
【高速化するマラソン】1964年東京五輪を制したアベベ・ビキラ(エチオピア)のタイムは当時世界最高の2時間12分11秒。現在はエリウド・キプチョゲ(ケニア)の2時間1分39秒が世界記録。キプチョゲは昨秋、非公認ながら1時間59分40秒で2時間切りを達成。女子も昨年10月、ブリジット・コスゲイ(ケニア)が2時間14分4秒で世界記録を更新した。









