教室にはランドセルが散乱していた。東京電力福島第1原発事故によって、今月3日まで約9年間の全町避難が続いた福島県双葉町。東日本大震災の被災地支援に取り組む神戸市長田区の建築士曺弘利(チョホンリ)さん(66)は今年1月、時が止まった街の風景をスケッチに収めた。15枚の画集は暮らしを奪った事故の現実を伝える。「そこで生活を営まなければいけない人がいる。交流を続けたい」と古里の再興を目指す人たちに思いを寄せる。(金 旻革)
阪神・淡路大震災で神戸市須磨区常盤町にあった曺さんの事務所は全焼。生活再建は途上だったが、2004年の新潟県中越地震などで被災地支援に動いた。
東日本大震災では福島県南相馬市などで炊き出しやがれきの撤去に奔走。その傍ら、被災地の現状を自分なりに伝えようとスケッチで記録を始めた。昨秋、福島第1原発が立地する双葉町を訪ねようと同町に打診し、今年1月27、28日に立ち入りが認められた。
2011年の震災まで、約2600世帯、約7千人が暮らした街に人の姿はなかった。
足を運んだ双葉南小学校の教室にはランドセルや巾着袋が散乱。廊下には、ワックスがけの途中とみられるモップが残されていた。
9年前の3月11日はちょうど、卒業式だった。黒板には「今までありがとう!」「先生 泣っくなバカやろー」「みんなはなれても友だちだよ」の文字。友との別れ、新たな旅立ちをかみしめる青春の一ページが、原発事故で一変したありさまが胸に迫った。
「原発事故の影響は想像以上だった」と曺さん。あるじを失った数々の家屋は屋根や土台が崩れ、路上のアスファルトの隙間から雑草が生い茂っていた。住民は福島県の各地や埼玉県に避難し、帰還を望む人は半数にも満たないという。
ただ、一筋の希望の光がようやく見えてきた。今月4日、双葉町で唯一の鉄道駅、JR常磐線双葉駅の周辺で避難指示が解除された。曺さんが現地で知り合った兼業農家の男性はやぶになった田畑を再び耕し、米作りに挑む意欲を燃やした。同町役場の職員は何十年にも及ぶ廃炉作業と向き合いながら、まちを立て直す思いを堅持していた。
曺さんは完成したスケッチ集を町外にある同町役場の事務所などに寄贈した。「土地を愛し、生きてきた人たちは簡単に古里を離れられない。自分に何ができるのかと問われると無力感があるが、人ごとと思わず心を寄せたい」と話す。