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中村真夕さん=東京都武蔵野市内
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中村真夕さん=東京都武蔵野市内

 「愛国」という言葉が隠れみののように使われている。公共の場で反中国、反韓国の差別的言動(ヘイトスピーチ)を展開し、インターネットで右翼的、排外主義的な書き込みを繰り返すネトウヨが「愛国者」を名乗ることの不思議さ。ドキュメンタリー映画「愛国者に気をつけろ!鈴木邦男」は新右翼団体「一水会」の元代表に密着し、ちまたの愛国者に本当の「愛」があるのか、と問う。暴力をも辞さない思想と裏腹に映画の中の鈴木氏は老若男女、右からも左からも慕われる好々爺(や)の顔を見せる。在日外国人労働者や原発事故後の福島の問題を取り上げてきた中村真夕監督が「今、撮らなければ失われてしまう」という危機感から撮影を始めたという。(片岡達美)

 -鈴木さんのかつてのイメージと違います。

 「目が笑っていないことがあり、抱える“闇”は感じます。一方で相手の話を聞こうという姿勢、他者への優しさがあります。1960年代、70年代にたくさんの修羅場をくぐり、挫折も経験したからでしょう」

 -そこが今、人を引きつける?

 「特に女性のファンが多い。映画にも登場するオウムの松本智津夫元死刑囚の三女、松本麗華さんは、鈴木さんを父親のように慕っています。作家で活動家の雨宮処凜さんは鈴木さんのことを『年老いたハムスター』だと。あの年代の男性にありがちな『俺の話を聞け!』と威張るところがない。私もですが、会社や家庭でそういう男性にうんざりしている30、40代の女性が癒やされるのでは」

 -鈴木さんとの出会いにはお父さんが関係しているのですね。

 「父、正津勉(しょうづべん)は詩人で、ある専門学校の教師をしていました。そこに鈴木さんも教えに来ていて。45年生まれの父は『左』の立場で、私も当時は鈴木さんがどんな人なのか、ほとんど何も知らなかった。その後、戦後右翼のことを深く知ることになりました。自衛隊駐屯地で割腹して、新右翼に思想的影響があった三島由紀夫のことも。新左翼が歴史の舞台で断絶したのに対し、右には日本会議などで現政権にもつながっていく脈々とした流れがあり、改憲にもこだわりがあります」

 -元オウム真理教の上祐史浩さんが鈴木さんの引き合わせで、オウム幹部、村井秀夫刺殺犯と会います。

 「鈴木さんは上祐さんに『何かあったら自分が盾になる』と言っていました。柔道、合気道ともに三段で、今も筋トレで心身を“武装”しています。70冊を超える著書の奥付に自宅の住所と電話番号を載せていて、自宅アパートには表札代わりの名刺が張ってある。誰が来ても話し合うという覚悟です。匿名で他者を攻撃し、自分の意見だけを主張するネトウヨとは真逆です」

 -この覚悟はどこから来るのでしょう。

 「宗教団体『生長の家』信者の家に育った鈴木さんは、元大日本愛国党員による浅沼稲次郎・社会党委員長刺殺の映像を見て、愛国運動に身を投じます。早稲田大学の後輩だった森田必勝は三島と一緒に自死しました。朝日新聞東京本社で拳銃自殺した野村秋介にも近かった。共通するのは思想のために身をささげる姿勢です。今回、撮影していて、鈴木さんも政治的殉教者になりたかったのではないかと思いました」

 -その生き方から見えてきたことは?

「『鈴木邦男は右から左になったのか』と言う人もいますが、鈴木さんは変わらない。保身に走るのではなく信条に生き、危険に身をさらす。独身を通しているのもそのためでしょう」

 「いつも本を読んでいるので、なぜかと尋ねると『自分はバカだから勉強しないと』と答える。自分は正しいのかと、常に疑問を持ちながら行動しています。どんな価値観の持ち主とも話し合います。これこそが民主主義だと感じました」

 -今月11日で東日本大震災から9年。中村さんは福島にも心を寄せ続けています。

 「前作『ナオトひとりっきり』では、原発事故のため全町避難し無人となった富岡町で、取り残された動物の世話をする松村直登さんを撮りました。それから毎年、桜の季節には福島を訪れています。富岡町は部分的に避難指示が解除されましたが、戻っているのはお年寄りばかり。たまに若い人を見かけると、原発の作業員です。そして彼らも、オリンピック開催が近づく東京の建設現場に流れていく。政府は『復興五輪』と言いますが、被災地は利用されているだけと感じます」

 -オリンピックもそうでしょうが、「日本すごい!」と感動をあおり立てるテレビ番組が増えています。

 「私も引っかかっていました。子どもがそうした番組を見て、うのみにしないか心配です。日本がいいからと、外国に行きたがらない若者が増えているのも、それに関係しているかもしれませんね」

 -中村さん自身は10代で日本を飛び出し、海外生活を経験しました。

 「ロンドンとニューヨークで学びました。帰国してみると、女性が働く環境が、日本はまだまだ整っていないと感じます。テレビのドキュメンタリー番組も作っていますが、アシスタントの女性は大勢いても責任者の大半は男性ばかり。『俺を立てろ』と威張る。パワハラ、セクハラもなくなりません。取材相手の男性から『君、いくつ?結婚しているの?』と聞かれることもしょっちゅう。海外では考えられません」

 -映画製作の環境も日本と海外では異なりますか。監督としての今後は?

 「技術が発達し、機材も良くなった一方で、日本は映画のための助成金が、種類も金額も少ない。資金集めが本当に大変です。助成金が出るとしても、お金が入るのは映画の完成後で、借金しないと製作にかかれません。劇映画は特に大変。ドキュメンタリーなら比較的、作りやすい。取材対象に自分でカメラを向ければ最低限、映像は撮れるので」

 「鈴木さんを見ていて吹っ切れた気がします。周りにどう思われようと自分が信じる道を歩けばいいと。日本で仕事をして十数年、息苦しさを感じていて、海外に拠点を移すことも考えています」

【なかむら・まゆ】1973年東京都出身。ニューヨーク大学大学院で映画を学ぶ。2006年「ハリヨの夏」で監督デビュー。日系ブラジル人の若者を追った「孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~」(11年)など。

◇記者のひとこと 東京で2週間の上映期間中、日替わりでゲストを招いてトークイベントが開かれ、連日、満席だったそう。映画について、日本の現状について有意義な議論がされたという。夏に予定の関西での上映が楽しみだ。

 

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