作曲家の筒美京平さんが7日に80歳で亡くなったことを受けて、数々のヒット曲でコンビを組んだ作詞家の松本隆さん(71)=兵庫県在住=が13日、ツイッターで「京平さんからもらったものはありったけの愛。彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない」と思いをつづった。(津谷治英)
松本さんは太田裕美さんのヒット曲「木綿のハンカチーフ」や、近藤真彦さんのデビュー曲「スニーカーぶる~す」など多数共作した。
古い漢字やひらがなを織り交ぜ、日本語にこだわる松本さんの詞は、1970年代前半まで主流だった七・五調の短文形式から抜け出た新感覚の言葉だった。
「木綿のハンカチーフ」は先に松本さんが詞を書き、筒美さんが曲を付けた。あまりにも長い詞に筒美さんが戸惑った、との逸話が残る。しかし、筒美さんは少しずつ松本さんの表現に魅力を感じ、「彼ほど美しい日本語を書く人はいない」と評するように。
松本さんも神戸新聞の取材で「メロディーに乗せにくい僕の詞に、素晴らしい曲を付けていただいた」と感謝していた。深い信頼関係が黄金コンビにつながった。
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松本隆さんが、筒美京平さんに対する思いをつづり、ツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)で公開した全文は以下の通り。
神戸のラジオ局でマイクに向かっていると、「京平先生が亡くなった、、、」と太田裕美からメールが入った。瞬間、涙の洪水になりそうな心を抑えて、平常心を保ちながらラジオを終わらせた。取り乱さなくて偉いでしょ、褒めてよと天国の京平さんに呟く。
作詞家になった瞬間、目の前に筒美京平は立っていて、先輩と後輩であり、兄と弟であり、ピッチャーとキャッチャーであり、そして別れなければならない日が来ると、右半身と左半身に裂かれるようだ。
ぼくが京平さんからもらったものはありったけの愛。彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない。ありがとう、京平さん。いつかぼくも音符の船に乗り、天の園に舞い上がる日が来る。少しの間、待ってて。そうしたら笑顔で、喜んだり怒られたり哀しんだり楽しく語り合おうね。