今年のノーベル物理学賞は、地球がある銀河系の中心部にブラックホールが存在することを証明した、ラインハルト・ゲンツェル米カリフォルニア大バークリー校名誉教授ら3人に決まった。同氏の論文が発表されたのは1996年。実はこの約2年前、ほぼ同じ正確さで、別の銀河のブラックホールを世界で初めて見つけたのが、電波天文学者で関西学院大理工学部教授の中井直正さん(66)=兵庫県三田市=だ。「決められた通りの観測からは、あっと驚く大発見は生まれない」と断言する中井さん。どんな観測環境がノーベル賞級の発見を生んだのだろうか。(高見雄樹)
-元々、ブラックホールの研究が専門ではないそうですね。
「大学院生のころから、星の誕生を研究してきました。宇宙空間にある水蒸気は、ある条件ではメーザーになっています。メーザーは光のレーザーポインタと原理が同じで、光ではなく電波のマイクロ波で出てくる。これを長野県の国立天文台野辺山宇宙電波観測所の電波望遠鏡で観測してきました。まだ私が研究員だった80年代後半、五つの銀河の中心から極めて強い『水メーザー』が出ていることを、欧米の研究者が発見しました。原因は分からないということで、興味を持ちました」
-すぐに調べたんですか。
「できる観測は欧米勢が全てやっていました。90年になると、米国のグループが五つの銀河の一つ『メシエ106』で、メーザーが85日周期で強弱を繰り返すことを突き止めました。通常、銀河のガスは一定です。ほかの銀河でもあるのでは、と思って10日に1回、電波望遠鏡の観測時間をもらいました」
「野辺山の望遠鏡には、電波の波長ごとに強さを測定できる分光器が8台ありました。欧米の主要望遠鏡でも1、2台です。ある物は使わないともったいない-と、貧乏人根性で8台全て使ったんです。すると端っこの方の周波数帯で、時速360万キロという超高速のメーザーを捉えたのです。こんな速さで動く物質はこれまで見つかっていません」
-偶然の発見ですね。
「体中が熱くなりました。これが本当だったらとんでもないと。ただ、ケーブルのつなぎ間違いや全く別の分子を観測したなど、何かの間違いだったら大恥をかきます。誰にも言わず徹底的に調べました。やはり銀河の中心から出るメーザーだと確信し、論文が93年1月の英科学誌ネイチャーに掲載されました」
「世界が驚きました。論文審査のレフェリーの一人は『このデータを見た世界中の天文学者は自分の望遠鏡に走るだろう』と書いてくれました。確かに世界中の望遠鏡が、この銀河の観測を始めました。私は米国にある最新鋭の電波望遠鏡に観測提案をして、使わせてもらうことになりました。性能は野辺山の1万倍ぐらい。ここ三田から東京の鉛筆の芯が見えるほどの解像度です。すると、銀河の中心に時速360万キロで回転するガス円盤が見つかったんです。回転速度が速い上、極めて正確なケプラー回転をしていました」
-それは何を意味するのですか。
「太陽系の惑星は内側の水星が最も速く太陽を回り、外側ほどゆっくり回転しています。中心に非常に重い太陽があり、周囲を軽い惑星が回っているとき、ケプラー回転が生じます。ということは、ガス円盤の中心にも太陽系と同じく何か重いものがあることになります。さらに計算すると、銀河全体の100万分の1よりも小さな領域に、太陽の4千万倍の質量(重さ)のものがありました。宇宙で質量が一番詰まっているのは星の集団です。もし太陽ぐらいの星が4千万個も狭い空間に集まれば、星同士が衝突してしまいます。物理学で考え得る可能性をつぶしていき、最後に残ったのがブラックホールでした」
-ブラックホールを見つけた人は過去にもいたのではないですか。
「ブラックホールは見えないので、正確には発見ではなく、いかに高い精度でブラックホールの確証を得たかです。あのときは、過去の証拠の100万倍ぐらい高い確証でした。論文は95年1月、またネイチャーに載りました」
「私たちの発見から1年10カ月後、(今年のノーベル物理学賞に決まった)ゲンツェル氏らが星の動きを分析し、地球がある銀河系でブラックホールを見つけました。確度は従来の100万倍。われわれと同じです。彼らは2000年以降も観測を続け、さらに千倍高い確証を出した。(賞を選考する)ノーベル委員会はここを評価したのでしょう」
「100倍ならまだしも、千倍の差は難しいかもしれないですね。最初の発見はこちらだと思っていますが、残念ながら力不足で、三田からノーベル賞を取れなくて申し訳ないです。われわれはその後、他の銀河でブラックホールを探す方向に進んで、三つほど見つけました。米国には五つ、六つ見つけたグループもあります。高性能な望遠鏡は全て米国にありますから」
-米国で研究する道もありました。
「日本から成果を出さなくてどうするんですか。米国で出した成果は米国のものになる。日本を捨てるようなことはできません」
-最初の発見は1人で観測していたのですか。
「こういう無駄でばかばかしいことは、1人だから自由にできるんです。大勢で議論して賛同を得ようとすると『そんな所に分光器を並べても無駄だ』と言われるに決まっています。あっと驚く大発見は、本人を含めて誰も想定していないから驚くわけで、見つけたい結果が出ても『あぁ、よかった』で終わります。自由と失敗が許される環境。この二つはとても大切ですよ」
「観測したけど論文にならなかったことは山ほどあり、よく怒られました。最近は管理がより厳しく、競争率が高い望遠鏡で何も発見できないと大目玉を食らいます。二度と使わせてもらえないかもしれない。すると、必ず結果が出るものしか観測しなくなります。みんな頭では良くない傾向だと分かっていますが、改められません。私は自由のおかげで、ブラックホールに近づけました」
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【なかい・なおまさ】1954年富山県生まれ。80年関学大理学部卒、85年東大院修了。97年国立天文台教授、02年野辺山宇宙電波観測所長。18年から現職。寄付を募り、南極への電波望遠鏡の設置計画を進める。











