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歌の思い伝え続ける 神戸発、世界の被災地で響く「しあわせ運べるように」作者退職へ

2021/01/06 14:15

 震災復興を願う合唱曲「しあわせ運べるように」を作詞・作曲した臼井真さん(60)=神戸市立高羽小学校教諭=が、3月に定年を迎える。神戸市東灘区で被災し、自宅が全壊。大きな被害を受けた三宮の姿を目の当たりにし、10分ほどで生まれた楽曲は、神戸だけでなく、日本や世界各地の被災地で響き渡る。「一つだけ、人の役に立つことができたかな」。退職を前に思いを聞いた。(太中麻美)

 あの朝、臼井さんは金管バンドの練習のため、午前4時半に起床。自宅1階で朝食を終え、2階に移った2、3分後、激しい揺れが襲った。「列車が家に突っ込んできたのかと思った」。家族は無事だったが、木造2階建ての家屋は、1階を押しつぶして全壊した。

 市内の親類宅に身を寄せ、数日後から、避難所となった勤務先の旧吾妻小学校(神戸市中央区)に通ったが「帰る自宅をなくし、空中を漂っているようなフワフワ感」を抱いていた。震災から約2週間後、初めてニュースで三宮の状況を目にした。生粋の神戸っ子にとって、思い出深い三宮の街は変わり果てていた。衝撃を受け、紙の裏に走り書いた。「地震にも 負けない 強い心をもって」-。わずか10分ほどで曲が完成した。

 「突如こみ上げてきたものを記した。不思議だと思っていたが、今ではあの時の自分にしか書けない歌だったと思う」。避難所の光景や、ボランティアの背中を見てくじけそうな心を励ましていたことが、次々と頭によぎった。「神戸は大けがをしただけで死んでいない。元の姿に戻そう」。歌詞に込めた思いだ。

 最初は「しあわせを運ぶ歌」と名付けたが、同僚から「歌詞の言葉の方が良い」と助言され、現在のタイトルに。震災の半年前から、児童有志の合唱団をつくって活動していたので「避難所の方々に向けて子どもたちが歌うという、確固たるイメージがあった」と振り返る。

 歌は神戸にとどまらず、新潟県中越地震(04年)、東日本大震災(11年)、熊本地震(16年)やイラン・バム地震(03年)、中国・四川大地震(08年)など国内外の被災地にも広がっていった。海外の人が、歌詞の意味が分からなくても涙をこぼしたり、共演した音楽家が泣き崩れたりしたこともあった。「何か絡みついて、染みついているものがあると思う」。周囲の反応や言葉から、この歌を伝える意味を学んできた26年だった。

 1月17日は、この歌が初めて披露された旧吾妻小跡地のコミスタこうべで、臼井さんが指揮し、高羽小の合唱団が「しあわせ運べるように」を歌う予定だ。

 退職後は、教職を離れ、阪神・淡路を風化させないよう、作者として歌に込められた思いを、さまざまな場所で伝えていくつもりだ。教員も世代交代が進み、若手は震災を知らない。「若い世代へとつないでいくことも課題。作者として依頼があればどこへでも行ってみたい」。歌とともに歩む日々は続いていく。

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