多くの命を奪い、日常を一変させた東日本大震災。阪神・淡路大震災を知る兵庫の人々は、東北の被災地に手を差し伸べてきた。「痛みを分かち合える仲間で、復興への力そのものだった」。二つの震災がつないだ巡り合わせの意味をかみしめる遺族、被災者がいる。あれから10年。これからもともに歩みたいと願う。(金 旻革、竹本拓也)
「女房を亡くしたことで、人のありがたみを知ることができた」。宮城県名取市の木皿俊克さん(64)は話す。2011年3月11日、妻の典子さん=当時(50)=を失った。
典子さんは勤務先から車を走らせていた時、津波にのまれた。遺体安置所で対面したのは1週間後。手に残るやけどの痕で分かった。
典子さんとは社内結婚だった。優しくて心(しん)の強い人柄。くじ運は悪かったが、震災の2週間前、スーパーのくじ引きで福島県いわき市への日帰り旅行を当てた。「珍しいね」。2人で笑い合ったのを覚えている。
喪失感や孤独感が心の中におりのように積もった。震災から2年後。仙台市で暮らす子どもたちと離れ、名取市の愛島(めでしま)東部仮設住宅に単身入居した。震災まで住まいがあった同市閖上(ゆりあげ)地区の住民が暮らしていた。そこは、兵庫県からのボランティアが支援のため足を運ぶ場所でもあった。
仮設の仲間に誘われ、14年1月17日に初めて神戸・東遊園地を訪れた。揺らめく竹灯籠の火に手を合わせる人々。「阪神・淡路から19年が過ぎても心に傷を抱えている」。災害は違っても、家族を失った悲しみは理解できる気がした。1月の神戸訪問は恒例行事になった。
新型コロナウイルス禍の前まで、毎年3月11日とお盆には兵庫から支援者らが竹灯籠を携えて仮設住宅に訪れた。市民団体「神戸・心絆(ここな)」会長を務め、昨年4月に他界した山川泰宏さん=享年(82)=は「元気かぁ」と気に掛けてくれた。「笑顔」の文字がしたためられた竹灯籠は、典子さんの仏壇に供えている。
今年1月17日はコロナ禍で神戸行きを断念したが、自宅で手を合わせた。「前向きになれたのは、阪神・淡路大震災を経験した人々の存在が大きい」
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木皿さんと同じ仮設住宅で暮らした名取市閖上地区の長沼俊幸さん(58)も、兵庫のボランティアとのつながりを大切にしている。自宅を津波で流され、4年前に同地区で再建した。
発生から1年後、兵庫から来た人々は清掃などを手伝いながら、震災前の閖上の暮らしを熱心に尋ねてくれた。阪神・淡路からの復興について語る姿に引かれた。思い出したくない震災体験を無理に話さなくても、通じ合える安心感があった。
震災の語り部として、これまで約20回、兵庫を訪れた。復興したまちの様子に、支えてくれた一人一人の顔が重なる。「震災27年目を生きる兵庫に学ぶべきことは山ほどある。まだまだ未来の復興の話もしたい」
再建した自宅の庭に1本の桜の木がある。兵庫の仲間から譲り受けた。今年も花咲く日を心待ちにしている。