日本を代表するドラム奏者で、西宮市出身の村上“ポンタ”秀一(むらかみ・ぽんた・しゅういち、本名村上秀一=むらかみ・しゅういち)さんが9日、視床出血のため東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。70歳。葬儀・告別式は近親者で行った。
西宮市立今津中学校の吹奏楽部でホルンを担当したことが原点となった。市立西宮高校を卒業後、大学を中退し大阪の音楽事務所へ。1972年、関西フォークを代表するグループ「赤い鳥」のオーディションに合格しプロデビューした。
解散後はソロ奏者やスタジオミュージシャンとしてJポップの興隆と共に歩み、ジャズの一流ミュージシャンとも交流。2015年には、神戸で開かれた平松愛理さんの阪神・淡路大震災追悼ライブに出演した。
「赤い鳥」のメンバーだった後藤悦治郎さん(74)=現「紙ふうせん」=はグループ解散後もレコーディングや舞台で共演。3年前、「翼をください」を作曲した村井邦彦さんを囲む会で話したのが最後だったといい、「同じ時代の仲間が去り寂しい」と惜しんだ。