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尼崎JR脱線事故で負傷後に自死した息子を思い、植えた桜を見上げる岸本早苗さん=宝塚市(撮影・斎藤雅志)
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尼崎JR脱線事故で負傷後に自死した息子を思い、植えた桜を見上げる岸本早苗さん=宝塚市(撮影・斎藤雅志)
岸本遼太さん
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岸本遼太さん
岸本早苗さん=宝塚市(撮影・斎藤雅志)
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岸本早苗さん=宝塚市(撮影・斎藤雅志)

 咲いて散り、また咲く桜に息子を思う-。2005年4月の尼崎JR脱線事故で負傷後、心に不調を来し自ら命を絶った岸本遼太さん=当時(25)=の母・早苗さん(77)=兵庫県宝塚市=が、形見として育てる桜に息子への思いを重ねた詞「さくらの涙」を作った。知人のピアノ講師が曲を付け、事故から丸16年となる前日の24日、宝塚市内の学校で演奏会を開く予定だったが、新型コロナウイルス禍で中止に。開催のめどは立たないが、「いつか子どもたちにも歌ってもらい、事故を忘れないでほしい」と願う。(村上貴浩)

 さくらさらさらさくらの涙 こんにちは って ごあいさつ あれからいろいろ ありました

 早苗さんの詞はこう始まる。一人息子で京都市の大学4年生だった遼太さんは通学中、脱線事故で首を負傷。悲惨な現場を見て心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し08年10月、自宅で命を絶った。

 「生きているのが、なんだか、辛(つら)く、申し訳なく感じる」と生前、自身のブログにつづっていた。早苗さんは事故現場の慰霊施設「祈りの杜(もり)」の慰霊碑に「犠牲となった106人と同様に息子の名を刻んでほしい」とJR西日本に求めたが、「遺族の反対がある」として断られた。

 涙なんか見せたくない でも悲しいことは悲しいと さくらさらさら さくらの涙

 せめて追悼のために桜の木を「祈りの杜」に植えさせてほしいと頼んだが、JR西の返事はずっと「検討中」。そこで4年前、自宅の庭に植え、「りょうちゃん桜」と名付けた。遅咲きで、事故が起きた4月下旬に毎年、満開となる。

 また咲くのって うらみごと あれからいろいろ 待ちました 帰らない あの笑顔 でもいとしいものは いとしいと

 早苗さんは夫の義彦さん=当時(64)=も釣り中の海難事故で06年に亡くしている。独りになり、うつ病や運動障害に悩まされるように。昨年3月、高齢者施設に入ることにした。息子がよく遊んだ自宅横の公園に桜を移したいと宝塚市に相談すると、地元自治会の同意を取り付けてくれた。

 昨年10月2日の移植式。遼太さんの十三回忌でもあり、生前の知人や地元住民ら十数人が駆け付けた。桜をなでると、遼太さんへのいとおしさ、悲しみがあふれ、涙が込み上げた。「その時、多くの人が歌える詞を書こうと思った」。早苗さんはかつて中学の国語教諭だった。

 こんにちはって ごあいさつ 涙にこたえて咲きました 春の陽気に誘われて ほら うれしいことはうれしいと

 花や音楽が好きで、優しかった遼太さん。息子を思い、体調の良い時に少しずつ詞を書き進めた。それまで毎日死にたいと思い続けてきたが、息子が生きる力をくれたような気がした。

 完成した詞に、かつて遼太さんにピアノを教えていた講師の女性が曲を付けた。4月1日には西宮市の音楽ホールで、東京芸術大学声楽科の学生が歌ってくれた。詞はこう締めくくる。

 さくらさらさらさくらの涙 さくらさらさら涙とともに

 今年も花が咲いた。「事故で人生を狂わされた人たちがいる。同じ事故を絶対に繰り返させないために、歌で思いをつなぎたい」

 

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