「私が副署長にビデオテープを渡しました」
マンションの一室で向かい合った元兵庫県警明石署員の男性(71)は苦しそうに言葉を絞り出す。
ビデオテープとは、花火大会で県警が会場近くに設置した監視カメラの映像を録画するために用意したもの。カメラは事故当時、歩道橋を含む会場の様子を鮮明に映し出していた。
遺族が「録画されたカメラの映像があるはず」と主張し続けたのには、1枚の写真があったからだ。
発生直後の明石署で神戸新聞記者が撮影した。モニター画面と署員の背中、そしてモニターの上に白い箱が写っている。ビデオテープのケースだ。中身は確認できないが、ビデオテープが事故当時、署内にあったことが分かった。
元署員の男性によるとテープは3本。男性が署の会計課に頼んで購入した。「でも録画はされていない。私の伝達が不十分だったせいだ」
うなだれる男性の説明はこうだ。市民まつりは2日間の日程だった。モニター係の署員は日替わりのため、男性は初日の担当者にテープを渡し「監視カメラの映像を録画するように。また翌日の担当者にも引き継ぐように」と伝えたという。
事故発生後、未明に現場から署に戻った男性の机にテープが3本とも置かれていた。花火大会があった、まつり2日目の担当者に聞くと「誰からも何の説明も受けていない」と録画を否定した。男性が副署長にテープを差し出すと「預かっておく」と副署長が机の一番下の引き出しに入れたという。
その後、テープの所在が問題になったが、県警は「テープはない」と繰り返した。「副署長が黙っている以上、部下の私が話すわけにはいかなかった」。男性は事情聴取などで「覚えていない」と繰り返したという。
当時の副署長に取材を受けてもらえるように、自宅を訪問し、手紙を投かんしたが、24日時点で返答はない。神戸地検が作成した証拠品のリストにも記載がないビデオテープは、今も行方が分からないまま。
「監視カメラの映像を録画したビデオテープがあれば署長、副署長を有罪にできたはず」
遺族代理人を務めた弁護士はこう強調した。
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負傷者を追う取材も難航した。
約190人に依頼の手紙を送ったところ、70通近くが「宛所不明」で返送されてきた。残り約50人は記者が直接訪ねたが、半数以上が転居などで所在が確認できず、「思い出したくない」「子どもは就職して家を出た」などの理由で取材を断る人もいた。
他方、返信などがあった7人のうち、5人に話を聞くことができた。
生後9カ月の長女と夫の3人で花火大会に出掛けた加古川市の主婦(45)は「なぜ、あんな事故が起きたのか。主催者たちにあらためて対策を徹底する機会にしてほしいから」と取材を受けた理由を明かした。
神戸市西区の女性(77)は「子どもが多く犠牲になったけど、私はあの日、子どもの姿を一度も見なかった。大人たちの足元に隠れて見えなかっただけだと思う。あの状況では子どもは耐えられない」と生々しい惨状を思い返し、目をしばたたかせた。
「当時の日記がある」といったん取材に応じながら「気が重いので」と断ってきた男性もいた。亡くなった児童が通っていた小学校の校長だったことを別の取材で明かした男性も「遺族を思うとまだ話せない」と口をつぐんだ。
今も後遺症に悩まされる負傷者もいる。
明石市の女性(55)はあの日、長男(10)、次男(2)、長女(6)=いずれも当時=を連れて花火大会へ。手をつないで先を歩く長男、長女と歩道橋ではぐれた。
辛うじて群衆雪崩には巻き込まれず、歩道橋南側のエレベーター前にはじき出された。階段下でぼうぜんとする長男を見つけた。
「途中で(妹の)手が離れてしもうた」
女性はこの時、長女が病院に運ばれていたことを知らなかった。(明石歩道橋事故取材班)
