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 娘をもう一度、この胸に抱きしめたい-。切実な願いはついにかなわなかった。北朝鮮による拉致被害者で神戸市出身の有本恵子さん=失踪当時(23)=の母、嘉代子さんが心不全で死去した。94歳だった。

 どんなに無念だったことだろう。嘉代子さんは、夫の明弘さん(91)とともに、国への要望や支援を求める署名活動などに取り組み、拉致問題の解決を訴えてきた。恵子さんの誕生日の毎年1月12日には神戸市長田区の自宅の食卓にケーキなどを並べ、一緒に祝える日を願い続けた。だが、近年は体調を崩し、心臓の病気などで入退院を繰り返していた。

 元神戸外大生の恵子さんは1983年、英国留学中に旅行先の欧州で拉致されたとされる。

 2002年、当時の小泉純一郎首相との日朝首脳会談で金正日(キムジョンイル)総書記が拉致を認めて謝罪し、被害者5人が帰国した。一方で、日本政府が被害者と認定した恵子さんら他の12人について、北朝鮮は「8人死亡、4人未入国」とし、恵子さんの安否を巡っては「ガス事故で死亡」と伝えた。それらを裏付ける証拠はなく、日本政府は認めていない。

 拉致は明らかな犯罪行為だが、家族は北朝鮮の対応に翻弄(ほんろう)され続けてきた。14年には日朝両政府が被害者らの再調査で合意したが2年後、北朝鮮は中止を一方的に表明した。金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、真相を明らかにし、被害者全員を早期に帰国させるべきだ。

 安倍晋三首相は政権発足直後から拉致問題解決を「最優先の課題」と表明してきたが、具体的な進展は見られない。期待を持たせる発言とは裏腹に、政府の手詰まり状態を指摘する声もある。

 安倍政権は、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対し、米国と歩調を合わせ、圧力一辺倒で対応してきた。トランプ大統領が正恩氏との首脳会談を実現させ、対話路線にかじを切ると一転してそれに同調した。現在「条件を付けずに正恩氏と会談する」と北朝鮮にメッセージを送っているが、前向きな回答はない。

 米国追従では交渉相手と見なされない。そのことをいち早く認識し、対応を見直すべきだ。北朝鮮の後ろ盾とされる中国やロシアなどの後押しを引き出して解決を促す外交努力は十分とはいえない。

 嘉代子さんの死去を受けた会見で、明弘さんは「言葉が出ない」と涙ながらに語った。解決の糸口が見えない中で、ともに救出を訴えてきたほかの被害者家族も高齢化が進む。

 拉致問題の解決には一刻の猶予も許されない。政府は膠着(こうちゃく)した事態の打開に向けてあらゆる手を尽くさねばならない。

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