社説

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 新型コロナウイルス対策の改正特別措置法に基づき、安倍晋三首相が緊急事態宣言を発令した。

 東京都や大阪府、兵庫県など対象7都府県の知事も、宣言を受けて相次いで対処方針を打ち出した。

 予想を超えた感染拡大に対し、国などの対応はこれまで後追いにとどまっていた。ウイルスとの闘いはこれからが正念場といえる。

 私権制限もできる法的措置の発動は初めてだ。国民に「行動の変容」を強く要請するからには、国や自治体は命を守る対策に全力を挙げねばならない。とりわけ重要なのは、医療崩壊を防ぐ手だてである。

 重症者を救う医療を確かなものにすることが、何より安全と安心につながる。感染の連鎖を断ち切る私たちの地道な行動も、より大きな意味を持ち、社会を守る力となる。

    ◇

 新型コロナウイルスは主に飛沫(ひまつ)を介して人から人へ感染する。人との接触を大胆に減らせば感染は抑制できる。国民の行動で爆発的な拡大を防ぎ、医療体制を整える-。

 緊急事態宣言に踏み切った理由を首相はこのように説明した。裏を返せば、それだけ国内の感染状況と医療が切迫してきた証しでもある。

医療崩壊を回避する

 国内の1日当たりの感染確認例は3月中ごろまで、多くても50人余にとどまっていた。だが4月になって300人を超える日が続き、累計で4千人を突破した。わずか1カ月で約10倍に膨れ上がった。

 中国や欧米各国が万単位の感染者を記録する中で、日本は「ぎりぎり持ちこたえている」ように見える。死者数も約100人と先進国で少なく、オーバーシュート(爆発的患者急増)に至っていないとされる。

 だが、東京や大阪などでは感染経路を追えない事例が増えている。それでなくても日本はPCR検査の件数が少なく、隠れたクラスター(感染者集団)が都市部で広がっている疑いが指摘されていた。

 政府の専門家会議が3月の提言で「憂慮すべき状態」と指摘した背景にはこうした状況がある。4月1日の提言では「オーバーシュートの前にも医療の機能不全は起こりえる」と警告し、兵庫でも医療が逼迫(ひっぱく)していると「抜本的な対策」を促した。

 兵庫県も患者の受け入れが可能な病床数を500床に倍増する方針を示し、軽症者らが療養する施設やホテルの確保を急いでいる。

 ただ厚生労働省の推計式では、ピーク時の重症者は兵庫で431人。県内で使用可能な人工呼吸器は400台弱とみられ、最悪の場合、治療できない人が出る恐れがある。

 兵庫県幹部は「機器を使える専門人材や設置できる集中治療室が限られる」と説明する。それなら余裕のある医療機関で受け入れる、広域的な調整の仕組みをつくるべきだ。

 命を守る「最後のとりで」をしっかりと確立する。同時に医療者を守るガウンや医療用マスクなどの不足も解消する。県は市町などと連携して対策を加速する責任がある。

強権への自戒どこに

 一方、国民には人との接触をできるだけ減らす努力が求められる。集客施設の使用制限なども県などから具体的に示されることになる。

 多くは既に実施された内容で、罰則などの強制力を伴わず、宣言で対応が大きく変わるわけではない。ロックダウン(都市封鎖)は日本では法律上できず、首相も「する必要はない」と不安の解消を図った。

 ただ首相は「接触を7、8割減らせば2週間後には減少に転じる」と一層の自粛を促した。緊急事態宣言の期限は1カ月間で、「コロナ疲れ」を心配する声が上がる。

 改めて気持ちを引き締めたい。「うつらない」だけでなく「うつさない」。ウイルスを防ぐ思いやりの「防御壁」を隅々に築きたい。

 国民に行動制限を求めた演説で、ドイツのメルケル首相は苦渋の思いを述べた。「移動の自由は苦労して勝ち取った権利です。その制限は民主主義社会では、たとえ一時的でも許されません。でも今は、それが命を救うために不可欠なのです」

 「伝家の宝刀」と言われる緊急事態宣言は例外的な対応であり、発令する為政者には独善を戒める意識がなくてはならない。安倍首相は国民への要請と対策の中身などを縷々(るる)説明したが、権力行使への自戒が感じられなかったのは、気がかりだ。

 私たちが上からの指示に従うだけでは民主主義は退化する。現場を担う医療者はもちろん、国民一人一人がこの闘いの「主役」なのだと、胸に深く刻みたい。

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